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2020年8月25日火曜日

結局天ヶ瀬冬馬は神奈川県の何処出身なのか?

どうも、神奈川県川崎市出身のいわしです。川崎市民でした。はい。

出身地を明かすつもりもなかったんですが、ある理由で明かすことにしました。突然ですが、神奈川県出身の人間って「神奈川県出身」と言わないんですよ。

「横浜出身で…」
「川崎生まれで…」
「湘南出身です」
「鎌倉に住んでて」

だけど彼は神奈川県出身というんですね。それに対して元神奈川県民としては物凄く違和感があるのです。

冬馬くん「神奈川もとおかねえけど、都内にいた方が移動は楽なんだよなぁ…」

天ヶ瀬冬馬くんは神奈川県出身というが実際は何処出身なのだろう?と考察したことがなかったので全力で考察することにします。

天ヶ瀬冬馬の生誕地の予想


個人的には絶対に川崎ではありませんようにという願いはありつつも、色々と分析していきます。

天ヶ瀬冬馬くんといえば


我が推し天ヶ瀬冬馬くんの特徴をあげます。
  1. カレーをスパイスから作る
  2. サッカーが好き
  3. ロボットアニメが好き
  4. 歌が上手
  5. 高校生
  6. 「神奈川県」出身

やはりまいたるのように「hey~僕は横須賀出身だよ☆」でもないし、九郎くんのように「鎌倉です…」と名乗ってるわけでもなく「神奈川出身」が異質だなぁ…とモニョる。

神奈川県でサッカーに力を入れている市町村


実は神奈川県は「サッカー」に力を入れている県です。冬馬くんは幼い頃からこうした神奈川県のムーブメントに揉まれて今の冬馬くんが形成されたのでしょう。

神奈川のサッカーですが!!!!!!全国で一番「「「Jリーグ」」」のチームが多いのは神奈川県!!!!6チームあります!!!!!

サッカー王国である静岡が一番じゃないんですね。

特にサッカーの熱の目立つのは以下の市町村というかチームというか。
  • 横浜市
  • 川崎市
  • 相模原市
  • 湘南ベルマーレ(南の方の市の集合体)

この中で特に熱いJ1を抱えているのが横浜市(横浜マリノス)、川崎市(川崎フロンターレ)。川崎はフロンターレに対しての熱がすごいですし、横浜市民も知り合いはマリノスを応援してる人が多かった印象です。

「神奈川」出身という発言


さっきから五十回くらい言ってます(オタク特有のクソでか表現)が、神奈川の人間って市をいうと思うんです。

自分は地元川崎の記憶を捨てたいレベルなんですが、だからこそ川崎出身というのが非常に恥ずかしく思っています。現在関西の企業で勤めているのですが、人には「神奈川出身」と言っていて何人にも「あれ、神奈川県民って○○市って言わない?」と聞かれて、恥ずかしくなりながら「アッアッ……川崎です…」ってやっています。

実は天ヶ瀬冬馬くんも「その類」に見えるんですよね。

これは経験の話ですが神奈川県の色んな市から高校には集結していましたが、横浜出身の人はどの区であったとしても横浜出身と言いがちな印象を受けていて、仮に冬馬くんが神奈川県出身でも「神奈川県出身」と名乗るのは横浜出身ではないという可能性が高いと考えています。

ってかなんとなく口調が弊市出身感あるんですがそれは…

天ヶ瀬冬馬の発言から推察


天ヶ瀬冬馬くんは神奈川の何処出身なのかを考察する上で地域柄を考えるのは意外と有りだと思うのでやってみる。

おそらく横須賀出身ではない


横須賀観光、すっかり堪能しちまったな

地元民ならこれは言わないですよね…というかJupiterで冬馬のお部屋いってるし、もし観光するならその前からしているはずです。





横須賀出身であればこの画像の発言はしないと思われます。何故なら横須賀市民なら地元なので、地元民なら気になればすぐに研究しに行くからです。

遠かねえけど…


「神奈川もとおかねえけど都内にいた方が移動は楽」

遠かねえ→東京都内に近い神奈川県の地域の可能性が高い。

元神奈川県民として考える「都内への移動が難しい」地域








丸で囲ったエリアは「とおかねえけど…」というには都内に出るには遠すぎます。小田原近郊になるともはや都内に出るためのエネルギーは静岡レベルの高さです。おそらく発言を推察する限り、小田原や湯河原、三浦の人ではないでしょう。まあ、車があれば高速道路を使うんでしょうが…。交通の弁が悪い為、年齢的に免許を持っているわけではない天ヶ瀬冬馬くんには電車などを駆使していくのではないか(いや、もちろんPが送迎もあるだろうけど)と考えるばかりです。

天ヶ瀬冬馬くんのお父さんの話は全然出てきませんが、お父さんが職場が東京と仮定して家のローンを浮かせるために交通費全額支給の会社で小田原を選んでいたとしても「とおかねえ」と言えるかという話ではあります。多分本当に近いからこそJupiterの3人は冬馬くんの部屋でカレーを食べに集まれているのであるのだと思っています。

門前仲町へのいきやすさを考える


アニメとMステ設定かもしれませんが、315プロは東京都内…門前仲町にあります。門前仲町に行きやすいを都内へのいきやすさとしての指標として見ていこうと思います。客観的に見たいので全ての駅を最短時間にしています。

横浜→門前仲町 48分



川崎→門前仲町 38分



相模原→門前仲町 1時間21分




なんとなくですが、私はこうやって出してみると「相模原ではないのでは…?」というような考えに至ります。正直神奈川出身としては相模原在住だと門仲へ行きにくすぎますし、そもそもJupiter三人でカレーを食べ集まるにも立地が悪い気がします。

ほっくんは京都出身ですし一人暮らしで冬馬君が何処であったとしても合わせられそうですが、翔太くんは東京都民(おそらくオフショ的に実家暮らし)であることを考えれば、自ずと見えるかもしれません。まって…何処だろう…




↑カレーを冬馬の部屋で食べる図

なんか、なんとなくなんですけど、川崎出身な気がしているのです。なんか私は推しと地元が一緒な気がするんです。そうなると川崎説に対しての若干の反証を提供しないと説得力がでません。

ヤンキーはそれほど知らない


「正直いうとヤンキーについてはよく知らねえんだ」

「仮に川崎出身ならヤンキー知ってそうでは?」ということを考えそうですが、面白いことに川崎は治安の良い地域と悪い地域があります。具体的に川崎でヤンキーの生息する地域というと、川崎区と幸区が当てはまると思います。世間一般の「「「川崎」」」はこの2区だと思えば大体大丈夫です。仮に川崎出身かつヤンキーを知らない場合、可能性としては中原区から以北出身であるという可能性が高いです。

例えば、治安の良い地域を選ぶとしたら以下の川崎市の地域を選ぶことができます。

  • 再開発されている武蔵小杉近郊
  • 高級住宅街の新百合ヶ丘出身

ここでまた「門前仲町までの電車」を考えてみようと思います。天ヶ瀬冬馬が電車にいたらびっくりするので車で通勤して欲しいけどさ…。

武蔵小杉→門前仲町  37分




新百合ヶ丘→門前仲町 58分




新百合ヶ丘だと若干電車だと遠い感じするけど無理はない…はず。

武蔵小杉だと門前仲町への最短が横須賀線なので時間の融通を考えると非常に不便だと思いますが、都内への移動はかなり楽だと思います。
(路線としては東急東横線、目黒線、横須賀線、湘南新宿ライン、南武線、直通で相鉄線)

武蔵小杉は「神奈川も遠かねえけど都内の方が移動は楽」の最適解に見えます(暴論)

また武蔵小杉出身であると、川崎フロンターレの良く使うスタジアムである等々力球場も近いので、幼いころにサッカーを観に行く経験があった場合は新百合ヶ丘よりも現実的な距離で両親と行くことができたのではないかと考えています。

ということで(?)、個人的な仮説検証としては天ヶ瀬冬馬君は神奈川県川崎市中原区武蔵小杉出身ということにしました。ずいぶんとローカルな感じがしますw

2020年8月14日金曜日

生きる価値と貢献について

久しぶりに意見を書こうと思ってようやく開けて少しだけ書いている。

数ヶ月ほど私なりに本気で考え続けていたものの言語化である。私はこれを結論づけられた自分は一仕事終えられたのではないかというくらいに成長を感じる。

まず第一に自分の生きる価値について考えていた。哲学者は生きる価値について答えを出すかと思い、安易なのでショウペンハウエル先生の「自殺について」やら「孤独と人生」やらを読んでいた。ショウペンハウエル先生の著者を読んでから貢献などを行うほどの価値があれば生きていていいだろうと考えた。

そこで自分ができる貢献について考えていた。その中で色んな情景が出てきて、誰かに対して自分は貢献をせずに迷惑しかかけていないことに気づいた。何に対しても貢献ができず迷惑をかける自分に対して、生きる価値を喪失してると判断していた。そのことが恥ずかしくて心から自殺をしたかった。どこで死ぬと人に迷惑をかけないかと悩み続けていた。

ただ、調べてみるとどこで死んでも誰かに迷惑をかけることがわかり、死ぬことに対して悩んでいた。誰かに迷惑をかけていることを恥じて死にたいのに、死ぬと迷惑をかけるのは二重に恥だと思えて困り果てた。希死念慮の延長線上にあった自殺願望を抱えて、無限に自分の内にある精神と会話し続けていた。それはここ数ヶ月の話である。

この話の結論としては国は自分に生きる価値を感じでいるだろうということである。というのも、年金や税金をこれから先払うのは今のところは若い私であるし、そういうことを思うと今死ぬと国の税金的な意味では生きててくれと思っている人間がこの世に一ミリはいるだろうということでギリギリ生きていようと思った。それでもまだ貢献ができないと思うのであれば、献血で血を分ければ失血した誰かを助けられる可能性もあると思う。生きる価値について考え始めてから献血もしているが、生きてていいように感じられるので、献血は私を生かしてくれている要因の一つである。

この最初のネガティブな話は前座であり、もう少し貢献についての話をしていこうと思う。

先日、いろんな人たちがいろんな結果を残したり、自分が憧れるようなものに対してアレソレしてたりしているのを見ていた。純粋に自分はそれに対して素晴らしいと思う心もあったのだけど、それ以上に焦りが生まれていた。いつもこいつ焦ってんなって感じだけど。

「周りは先に進んでいる、自分は立ち止まってるだけに過ぎないのではないか」と焦燥感で生きた心地が皆無であったのだ。

(そういう進んでる人たちに素直に応援とかできてないことも、自分自身が本当に人望がない人間であると思うところもあった。)

自分はそうやって行動してる人たちに対して何かを提供できているわけでもないし、特に彼らに協力のできる人間ではないなと思うと自分の無力さに対して嘆くところではあったが、最近はそうした貢献をしていないと嘆く自分に対して傲慢であると思うようにもなった。

というのも、貢献とは自分が求めるものではなくて自分が誰かに恥じない生き方をしていれば自然と湧き出すものである…。自分は修行中の身であるため、誰かに迷惑をかけることはあれど、誰かに対して貢献できていないと痛感していた。

事実として他者に対して貢献できていない部分は否定できないし、何かに対しての貢献について死ぬ気で考えてその身の振り方についてかなり考え続けていたお盆であった。そもそも修行中に貢献なんて出来るのであれば、私は修行をする意味がない。

そこでの今の段階では「自分が何かを提供できることに対しての貢献とは、誰かから求められたものでしかない」という考えが結論になった。

そう、誰かに対して貢献することは生きる価値にはなるだろうけれど、貢献は自分がしたいと思って湧き出るものではない。そうやって貢献したいとやろうとするのはなんというか気持ちの押し付けにすぎないのだ。

焦って貢献したいと思うのは自分の無力を露骨に出しているように感じるし、本当に貢献のできる人はできることに対して愚直に取り組む姿勢を貫くだろう。これは私の負の要素や恥ずかしいものと向き合い続けた結果一つの光として生まれた考えであるけれど、合っていると言えるかは分からないがそれほど間違ってはいないと思う。

自分は特にsechack365においては「貢献がしたい」という願望を持ってやっていたように思う。しかし、貢献とは誰かが何かを求めているときに自分の持っているものを差し出すことである。自分から貢献を探すのは自分の持ってないものでアレソレしようとしている感じがして、それって違うような気がしてきた。

今年24歳でこれに気づくのは正直に遅くないかと、自分でも少々恥ずかしいところがある。

わたしの神様にして推しである天ヶ瀬冬馬くんはよく「うまく行かねえ時はプロデューサーがいるだけで心強いんだ」と発するのであるが、それは普段のプロデューサーの行動が天ヶ瀬冬馬くんに対して信頼をしているからこそ出た言葉であろう。信頼をしていないものに対して背中を預けることはできないし、貢献って信頼から生まれるものなのではないかと考え続けていた。

しかし、そう考えると自分の貢献はまだまだ志半ばで本当に自分以外のもののおかげで成り立っていて、自分は何もできておらず貢献を語るに及ばない人間であるように感じる次第である。

自分の行動を恥じて貢献などいう前に「実直に締め切りを守ることだけをした方がいいんじゃないかな?」と冷静になった。こう書いていてなんだかとても恥ずかしい。

信用を得てない内からその先のことに対して心配をするのはなんだか「応用ばかりやって基礎をこなすつもりのない人」の発言であった。基礎は一番大切なものである。基礎をやる前に応用はできない。