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2020年6月25日木曜日

人の葛藤は多種多様

この日記は今は心に余裕のない、某で出会った某さんに捧ぐ。内容自体に他意はない。

自分の良かれと思うことが他の人からしてみると等しく良かれと思える側面ばかりではない。自分からすれば良いと思えることでも、当事者は見えないところで苦労をしているケースは多い。

○○についての苦しみというのは無限にある。その苦しみは人それぞれ抱えていて、その立場にならなければわからない。故に僕は苦しみを理解をしていない前提でその人と話す。ただ、その立場ではないからと言って自分にとって良かれと思うことで、その人が葛藤していることで嫉妬するのはよろしくないように感じる。

例えば卒業した高校が工業高校→工学系だったので、よく人からは「工業系で女性なら男性が選り取り見取りなのでしょう?」と言われることが多い。その時「選り取り見取りと言いますが、自分が好意を抱く人が自分に対して興味がなく、興味のない人から嫌な好かれ方をする場合は幸せなのでしょうか?」と思う。そこにはその立場ではない人にはわからない葛藤がある。

(中学時代にサイバーセキュリティなら専門分野で食っていけそうだし独身でも一人で生きていけると思って志しただけであり、モテは考えていなかった)

「異性に囲まれればモテモテなのに?」

逆ハー(※逆ハーレムの略)であるならば幸せのように見えるかもしれない。現実問題として逆ハーだとして好きな人から好かれず、変な地雷男だけが寄ってくる場合は不幸な確率の方が高いだろう。世間一般的に女性より男性の方がパワーが上であるため、男性に好意で暴走をされると力では勝てない。故に恐怖の方が大きい。男性の中にいればモテるのでは?と考えてしまうとき、ここまで考えることは難しいとは思う。一方向で見たら幸せそうに見えることを全てだと思うことで、全体を把握したつもりになるのは違うように感じる。それは怠惰からくる傲慢な考えなのではないだろうか。(あくまで自戒として)

特に工業系の場合は女性が少ないがゆえに、男性の好意から「この人で妥協しておくか」というような諦めを感じるものを抱かれがちなのである。俗に言う「工業高校マジック」で(思春期に起きる不幸な勘違いが起きて女体が)モテただけに過ぎない。恋に恋している好意を、それを自覚してないがゆえに彼らは自己愛を押し付けてくる。ある意味、好意を抱かれたところで、自分に対してキープを見るような好意を与えてくる人が多い。

今の自分が今のまま工業高校時代に戻ったら、その恋に恋を押し付けてくる相手がいる事実が気持ち悪くて発狂することは間違いなしであろう。男性ばかりだから好いてくる相手は僕を僕として見ているわけではなく、僕ではない何かを見ている状態を感じながら学生生活を過ごすことははたして幸せなのであろうかと。そこから生まれる恋は不幸になるのではないかと思えてしまう。なんだかこのタイミングで好意を抱いてきた人とは対話ができそうにない。

この考えに至らず周りの異性がたくさんいて選り取り見取りだと言うのであれば、もう少し考え直したほうがいいと思う。付き合える許容値の人(理想でもなんでもいい)と付き合うのはかなわず、他に追いかけ回される生活がモテであるのであれば、モテたい人はその一瞬の虚無なモテを謳歌して現実を頭に叩きつけたほうがいい。

※工業系であった大学では大学2年の夏から教室の隅で講義を取り、人との関わりを友人以外無にしたため「モテなかった」ので非常に平穏な生活を送ることができた。わたしはそんな大学時代が1番好き。クラスに束縛されなかったし。そして、世界で1番尊敬しているA先生から「○○さんは口先だけでは見た目について好みだというけれど、対話ができる人が好みなんだねえ。対話ができる人と一緒になったら幸せになると思うよ」と言われて納得した。

「x年後に相手がいなかったら付き合ってください!」

工業高校時代から言われるんだけどこの発言から前提条件が「こいつとは絶対に付き合わんぞ」というわかりやすいものが漂うあれを感じる。私はおそらく神なのでこう宣言されるのだろう。こういうことでご利益があるのかもしれない。

上記の発言を人生で何度か言われていたが、これを言われて最初は「お前が僕のことをキープだと思うのは勝手だが、僕にだって選ぶ権利はあるのだぞ」と叱責をしていた。本当に好きならこんな遠い発言をしないので「ああ、この人は恋ができていないことに対して自分のような都合の良い媒介を作ることで、一種の現実逃避をしているのだろう」と初手で思う。事実としてそうした発言をしてくる人はすぐに相手を見つけて幸せそうになっていくのをみるし、内の1人は授かり婚で結婚した(実話)。僕は櫻井神社か。最近は若さが失われて反論をいうことすら諦めてしまい、ある時はもはや自分に対して笑うことしかできなくなっている。まあ、自分からはこうした発言は言わないようにしている。大変失礼なものなので。

ただ、周りから言われるのは「都合のいい人だと言われたとしても、そもそも好意を抱かれるということ自体がないので自分なら付き合うだろう。あなたの発言は結局は相手を選びすぎなのだ。」と言われる。いや待て、自分を自分として見る相手と付き合わなかったら、そもそもそうした関係などことごとく破壊されるのだし秒で破局するぞ。それは逆に双方に失礼な関係なのではないか?これをいうと発言を理解をしてくれる人と、お前それはモテるな?と煽ってくる人がいるのでとてもつらい。理解してくれる人はモテモテだったり大体相手がいたりする。

最近では「そんな関係性は学生で卒業しとけよ」というものを自慢してくる人もいるし、スペックを見られているだけで中身を見られていない関係をドヤドヤされることもある。対象から身体しか魅力を感じられてない人もいる。それこそ「モテる=数だけで見れば告白をされる」とか「モテる=チヤホヤされる」を真とする虚無がモテるだと思っていて、この人は学生時代には本当にモテたことがないんだなと思って悲しい気持ちになることもある。真にモテるとは好きな人から好かれることなんじゃないかなと僕は思えて仕方がない。

痩せ過ぎていることが不健康が故に不幸な人だっているし、顔がいいことで嫌な思いをしている人だって世の中で探せばたくさんいることだろう。一般的に素敵に見えることが必ずしも全てそうであると言い切ることが僕にはできない。人それぞれその立場ならではの葛藤を抱えて悩んでいることを忘れたくないと思う。そして、その悩みは自分も相手のことを理解ができず、相手も自分の悩みを理解できない。気持ちに寄り添うことはできるけれど。