自分を客観的に見ることはできるかと言われるとおそらく誰しもが無理なのだと思う。それは私もそうなのである。
ただ、自分が他人からどう見られているのか実はあまりよくわかっていない。ある人を焦らせてしまった。自分は特にその人を焦らせたいと思っていたわけではない。その人に対しては尊敬の念を持っているし、本当にすごい人だとこちらが見ていて焦るくらいだ。
ただ、自分は…自分で言うのもおかしい話だが何につけてもインプット量がエグい。おそらく並の20代の方では太刀打ちできないであろう量のインプットをここ数年し続けている。内容としては低レベルなインプットであるかもしれないが、本当に毎日のようにインプットし続けているので、牛歩でも前に進み続けている。苦手すぎる英文も最近は少しずつ読めるようになってきたので努力が報われ始めている。しかし、最近の周りの人間は並の20代ではない(断言)ので、彼らと比べて自分は少なすぎるインプット量だと焦っているのもまた事実である。結果としては彼らと肩を並べるにはまだ能力が全然足りていない。
このインプットは習慣的にずっとし続けているし、私の性格的には今後もそうすると思う。誰かがそれは意味がないと言うものであったとしても、私は全力でインプットする。何に対しても。それが給料に反映しないオタ活でもなんでも。
そういう姿は人を焦らせるのだろうか。自分はいつも焦っている。焦っていることで周りに対して気を遣わせていることにも申し訳ないと思うくらい、自分はいつも焦っている。そんな自分が他人を焦らせる日が来るとは思わなかった。
そんな自分が嫌になる。
自分に他人を焦らせる価値や姿勢などないと思うが、ただ自分を見ることで焦るか否かは受け取り手次第だろう。そうして本当に申し訳なくなってしまって、ただただ悲しくなっている。
話を戻すと、自分はなんだろうとわからなくなるし、自分の客観的なイメージに対してもわからないと思う。自分の姿は他人から見るとなんなのだろう。愚かだと思われていると思っていた。事実として社会人になってからも、そう言われたことがある。だから自分は愚かだと思われているし、誰かの迷惑しかかけられないため生きている価値があるのかと悩み続けていた。
本当に会社とコミュニティには恵まれているが、自分自身は何も持っていない人間だと自覚していて、何かを持ちたいと喘ぐだけの怠惰な人間だと思っているし、事実そうだと考えている。なのに人を焦らせて苦しめたのではないかと。
結局自分は他者からどう見られていたのだろう。
結論がなくてグダグダしていて申し訳ないのだけど、人を焦らせる要因に「焦っている姿」はあるのかもしれない。よく言えば「スピード感のあるもの」は、嫌な見方をすれば「焦りのあるもの」に見えるだろう。わたしは焦りのあるものであるが、他者から見ればスピード感があると見えるかもしれない。それも、育ちの良いような見方の良い人からしたら、いい見方をしてくれるので私に対してかなりスピード感を感じてしまう何かに見えることもあるかもしれない。
余裕のある演出をしなければ、人に対して余計な部分で余裕をなくすことにつながるようだ。多分焦らせたのは自分の余裕のなさから相手を巻き込んだのだろう。自分の行いに対して反省をしつつ、修養して余裕を持って行きたいと思う。