今回この記事においての定義づけとして以下のような言葉の使い方を行う。
- 成長して変わり続ける→アイドル
- 絶えず安定感のあるものを求められる→王者
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推しはふたパターン存在しているように見え、そしてどちらも努力の末輝いている存在であることがわかる。例えば、トップを目指し成長し続けて変わり続けるアイドル性のある人、もう一つは絶対的な実力からくる安定感のあるものを求められる王者性。
アイドル性も王者性も実際軸としては同じように見える。成長して変わり続けているとしてもその人の軸が変わらなければ、安定感がある状態のままである。表面的に変わったとしても、内面的なものは変わらない。
例えば、西城秀樹さんは「アイドル性」が高いが「王者」である。絶えず成長をし続け変化をしているが、その実変化を求められていない人生を過ごしていたように見える。ファンの見方によってはどちらともとらえることができる。軸は変わらないが、見方の問題である。
後は…最近語彙が将棋が増えてきたので、精神年齢が小学生なので覚えたての言葉を使うが、個人的に今の藤井先生(※未来は恐らく違う)は「アイドル性」を求められていて、タイトルだとか、若いから云々とか成長に対しての期待をされ続けている。
今の羽生先生は「王者性」を求められていて、圧倒的貫録で他者をねじ伏せることを求められているように感じる(なんとなく彼には安定感のある勝利を求めているのではないかと思える)。おそらく過去はアイドル性を求められていたのではないだろうか。
うーん…(語彙力がないと反省しながら書く文字を考えている顔)
ある程度突き抜けたものに対しては王者性を求めるが、その王者性も真の意味では時代に合わせて変化しているため、「変化のないように見える変化」を求められているのである。
天井を掴み、その後努力をせずに怠惰な状態になれば、どんなに若い人であろうとも老害になり果てる。変わらないのは事実であろうが安定感のある王者の状態ではない。
アイドル性も王者性も実際軸としては同じように見える。成長して変わり続けているとしてもその人の軸が変わらなければ、安定感がある状態のままである。表面的に変わったとしても、内面的なものは変わらない。
例えば、西城秀樹さんは「アイドル性」が高いが「王者」である。絶えず成長をし続け変化をしているが、その実変化を求められていない人生を過ごしていたように見える。ファンの見方によってはどちらともとらえることができる。軸は変わらないが、見方の問題である。
後は…最近語彙が将棋が増えてきたので、精神年齢が小学生なので覚えたての言葉を使うが、個人的に今の藤井先生(※未来は恐らく違う)は「アイドル性」を求められていて、タイトルだとか、若いから云々とか成長に対しての期待をされ続けている。
今の羽生先生は「王者性」を求められていて、圧倒的貫録で他者をねじ伏せることを求められているように感じる(なんとなく彼には安定感のある勝利を求めているのではないかと思える)。おそらく過去はアイドル性を求められていたのではないだろうか。
うーん…(語彙力がないと反省しながら書く文字を考えている顔)
ある程度突き抜けたものに対しては王者性を求めるが、その王者性も真の意味では時代に合わせて変化しているため、「変化のないように見える変化」を求められているのである。
天井を掴み、その後努力をせずに怠惰な状態になれば、どんなに若い人であろうとも老害になり果てる。変わらないのは事実であろうが安定感のある王者の状態ではない。
王者は変わらないために変わり続けなければならないように第三者からは見える。変わらないために変わらない人は過去の人になる。
結局のところ、王者であろうとアイドルであろうと、その努力を見せているか否かはさておき、努力をした人たちが好かれる印象にある。天才というものは存在せず、怠惰であれば真の意味では天をつかめない。
個人的にはなんというか、努力量が圧倒的な人たちっていつ見てもすごい人にみえて、圧倒的に見えるんだけど、どうしても「天才」は存在していないなぁと思える。わたしとしては、他者を天才と表現するのは怠惰な人間が自分の努力不足に目を背けて、才能で片付けているだけに過ぎないように感じる。