技術は権威ではないと考えています。持つものが傲り高ぶるために技術を使うのではなく、人を支えるために使うものではないでしょうか。大切な意識ですが、技術とは人の生活を豊かにするためのものです。技術を持っているという理由で(この言葉もかなり傲りを感じるのですが)自分から見て持たないと見える人を馬鹿にするような言動をとることの出来るものではないと思います。
技術を持つものとしての矜持として「技術という力を持つからこそ、その力を人のために活かすことが大切だ」と考えています。まだ自分には技術者として胸を張ることができるくらいのコア技術がないのですけれど…
根本の話は私には技術を語れるほどの力がないですし、人に対してのアレそれを書けるほどの立派な人格ではないので触れませんが、このムーブメントに対して感じたことは書くことができると思い、ちょっとTwitter言論がアレになりそうだったのでブログに避難しました。
私は言論が燃えてる人を見るたびに「僕ももしかしたら歳を取るごとにこうなる可能性があるのかもしれない。今後技術をつけていくごとに技術を権威だと思って、他者を傷つけ傲り高ぶることをしないように戒めていこう。僕は周りの人たちに恵まれているから特に自分の発言には気をつけなければならない(※自戒なので強い言葉)」と自省します。
私はありがたいことに素晴らしい環境で働くことができているし、自分の周りにいる人たちも本当に素敵な人たちだと思っています。だからこそ、この素敵な環境は当たり前ではなく与えられた立場を意識して自分の能力を他者の幸福のために使いたいし、誰かを傷付けるために自分の立場を利用して発言をしたくないと思います。素晴らしい環境を与えられた側は、与えられた運を活かして他の人にも幸せになるような行動をしていくのが理想なので実践したいと思います。これはあくまで自分の話ですが…
他の人にそれを強制することはできませんが、今回の一件で改めて自分は傲っていないかと自省をしました。
同時に自分より歳をとっている一部の人を「全て」とひっくるめて発言もしたくないです。何故ならそういう傲り高ぶる人は一部でしかないと思うからです。あの年代の方で素晴らしい人と出会っているからこそ、一部の人で世代の印象を決める必要もないと考えます。そう「全て」とひっくるめてしまうと、自分も同じように攻撃性を曝け出しているだけに過ぎないように感じられます。
発言を間違うことはあるし、未来の自分にもあり得る話なので観測者の自分は内省します。自分が技術力と社会的な立場も得てしまったら、そういった言動をするかもしれません。そうならないためにはこうした 技術を権威のように振る舞う人の燃え盛る事象 が起きたときは、当事者を責めるのではなくて自らを反省します。
間違ってるとか正しいという観測者の基準で変わることについて自分から何もいうことはできません。自分ができることは美意識的に良かれと思うことのできない言論に対して、自分はこのような言論をしていないかと反省することしかできないのではないかと思います。そこに責めるべき他者を作る必要はないと思います。
…本当に強い人が他者の人格を否定するのは美しくないと思うけど、それを否定すると同じ穴の狢になってしまうので自省。
「技術は権威じゃない。生活を豊かにするためのものだ」…これはわたしが某キャンプで教わった唯一身につけたもので、1番手に入れてよかった美意識です。