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2020年6月24日水曜日

凡人が行う選択と集中は視野を狭めるだけに過ぎない

異論は認める。

私は控えめに言って凡以下ですが、努力で凡のように見せることに努めています。そんな私ほど選択と集中の似合わない人間はいまだかつて出会ったことがないくらい色んなものに興味があり、色んなものに対して勉強やら趣味やらをしていると思っています(が、私以上に色んな事に首を突っ込んでいる人は沢山いることでしょう)。よくお世辞を伝えてくる人たちから「色んな事を知っているね」といわれることが多いです。それはわたしの興味がたくさんあるからだと思います。

私の興味は元々それほど広い範囲ではなく、好み自体は偏りのある人間です。ある時周りの人と会話をすることができない孤独感に苛まれて、色んな人の勧めを全力で挑戦して合う合わないを知ることで興味がどんどんと増えました。興味が増えたら色んな人の話が楽しくなったり、もっと聞いてみたいと思えるようになりました。特に最近では一人で放浪する(※余談1)際にその土地で出会うご老人の方々と会話をする機会が多いのですが、その時に会話についていけたり、そのご老人の会話の内容に関連する事柄を引き出したりしたときに心地よく話してもらうことが多く、その時に色んなことを吸収しようと思ってよかったと思うばかりです。

私は色んなものに手を出してそしてなぜこれが好きな人はこれが好きなのかとひたすらに考えます。そうすることがとても楽しいのです。わたしは人間は嫌いですが、人間が非常に大好きなので人がどうして興味を持ち、好きになるのかを知ることは好奇心を刺激してくるため本当に豊かな気持ちになることが多いです。

特に最近では「ああ、この人はこれで好きだと思ったのか(※余談2)」と理解することができた時にジャンルに手を出してよかったと感じます。基本的にその物事が好きな人がどうしてそれが好きなのかを理解できた時、自分も好きなものが増えた感覚がしてすごく幸せな気分になるのです。人の好きなものに触れて、その好きなものに対して考えることができるようになると好きを共有できるような感じがして、個人的にはとても楽しいのでお勧めします(?)

それをある時に人から「○○さん、色んなものに手を出しすぎなんだから選択と集中をしたらどうなんです?」といわれたことがあります。話を聞いてみれば「技術一辺倒になればいいのに」といってきてがっくり。何もかもに興味があるだけの私は彼からすれば広く浅くを地で行こうとする人間で気持ちが悪かったのかもしれないです。平たく彼の話を意訳すればこのような形でした。


  • セキュリティをしているのに歴史なんて無駄なのでは?
  • 古典を読むよりビジネス書を読んだ方がいいでしょ
  • 多く手を広げるほど人生は長くない。今から広げすぎるより狭めた方がいい


彼の美意識をとやかく否定するつもりはないですし、それで成功をされているのであればその通りに過ごせばいいと思います。ただその考えを人に押し付けてこなければ何でもいいですよ。それこそ私個人の性格として自分がやりたいことを今から始めないと年を取ったときに後悔するような気がしています。そう思うか否かは多分人それぞれですし、選択と集中により○○を極めたい人もいると思うのでその考え方が間違っているとは言いません。もしかしたら私が夭折するかもしれませんし、その場合は選択と集中を行っていなかったために何も功績をあげずに死ぬ自分を悔やむかもしれないです。その時はその時です。

個人的に、選択と集中を行うと視野が狭くなるだけに過ぎないと考えています。それこそ○○に対して天賦の才をお持ちであるのなら選択と集中で特化させればいいと思います。しかし私も含めて大体の人間は凡でしかない。

個人の見解ですが凡は選択と集中をして視野を狭くすると考え方が凝り固めやすいのではないかと危惧しています。柔軟性に富むためには色んなことを(もちろん自分が目をそむけたくなることも含めて)知って、多様な物事に対して考えらえるようにするのが戦略としては良いのではないかと思っています。知識は広く持っておくとその物事と遭遇したときに取っかかりやすくなると思うのです。

勿論、選択と集中は今後の未来から見ればもしかしたら正しくて、こうした私の考えが間違っている可能性を秘めていることは否めません。ただ、私は色んなことを知りたいし、色んなことを選択肢として残しておきたいと思います。知るというそれだけでそれを知っているほかの人との会話をすることができるのであるから、それだけでも教養として良かれという部分は大きいですし……




このツイートはかなり自分の思っていたことが言語化されていて非常に好きです。

「選択と集中」と株主総会で発する優れた経営者は魅力的に映るのかもしれないですが、こうして言葉を書いている私も含め大体は凡人でしかないのです。私は広く浅くでいいので教養を増やして人生を豊かにしたいです。

正直に何かで功績をあげることを人生の目的にはしていません。物事を知るために知る手段に成りえる何かに首を突っ込みたくなることはありますが、目的はそれだけなのです。知りたいという欲求を満たすために行動をします。知りたいと思うと周辺知識も得ようと努めるようになるので教養も深まることが多いです。個人的な見解として教養は視野を広げると思うので持っていて損はないと考えます。

余談

余談1:私が出没する場所は大体史跡が多いので、史跡へ行くと若い人よりもお年を召した方の方が多い印象を受けています。勿論若い人もいるのですが、割合としてはそれほど多い印象を受けません。私は史跡を一人で見ていることが多いため、非常に声をかけやすいのか色んな面白い話をしていただくことが多いです。特に話していると郷土史関係を聞くことができるのですが、全国津々浦々の戦国武将の知識を叩き込んでいたことがこれほどまでに役に立つ日が来るとはと感動している次第です。戦国武将が思いつかなければ幕末か江戸時代の話をとりあえず思い出しながらその人の地元の話をすることが多いです。

余談2:例えば「どうびじゅ(どうして私が美術科に!?の略語)」を死ぬ気で推しているSecHack365の思索のオタクの熱が余りにも凄くて、どうびじゅに手を出したことがあります。そして「なるほど…主人公のまっすぐさと周りの人たちのやり取り、そして一番は工業系の人間に刺さる内容…これはハマるのも無理はない」と思ったときに感動したのですわ。