ページ一覧

ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年9月25日金曜日

何故かGoogle formの回答が反映されないので対策を考えてみた

何故か回答したはずのGoogle formのアンケートが反映されていないという事象を2度も起こし、自分に対して嫌気が酷くなったので、その場しのぎの対処法を載せておきます。

わたしもなんですが、自分を嫌になりたくないじゃん。

当方環境

  • iPhone XS
  • docomo
  • 謎のWi-fi(とても安くて速度が遅い)
  • Safari

Google formの結果が反映されない原因




この画像の表示を見逃すことが挙げられるかもしれません。わたしは基本的にアンケートは脳死で解答してるので、これが出てても無視してしまうのです。

いつ出てるのか見てなかったのでわかりませんでしたが、回答完了画面をみた2秒後に元のページに遷移しています。

原因分析

正直赤いバーが起きる原因を掴めていないので調査中です。

誰かの卒論のためのアンケートを答えました。その人の許可を得ていないので動画は取りませんでしたが、その結果「回答を送った2秒後くらいになぜか赤いバーが表示されている」ことがわかりました。

今回調査のために10件ほど大学生の卒論や企業のアンケートに回答した際、エラーが起きたのは10件中4件ほどでした。ソースは10ですが確率は4割という結果になります。

エラーが起きたのは以下4件です。
  1. sechack365のアンケート
  2. 大学生の卒論(ソシャゲについての調査)
  3. 文系大学院生の卒論(衣服についての調査)
  4. なぜ働いているのかについてのアンケート

Google formを使う以外の共通項はなさそうです。

このiPhoneで脳死回答すると起きている事象なので、社会インフラとしては本気でやめて欲しいんですが、Googleさんに対しての依存を感じましたので自分から対策をねる必要があります。

対策方法

今回、「送信後2秒後にエラー表記が出る」という情報を得たので、以下の対策を検討しました。

  1. 二秒間はアンケート結果が無事であるかを確認する
  2. 送信直後から画面下部に出ている赤いバーが出ているか否かを見ておく
それでも難しいかもしれませんので、もし対策方法があれば教えていただけますと幸いです。

根本的な原因解決の方法は思いつきませんので、Googleさんに解決してもらえることを祈っておきます。

2020年7月18日土曜日

好きな人に好きと言えることは当たり前ではない

好きな人に伝わる形で好きという権利は当たり前のように有し続けられると思ったら間違いである。歴史とアニメ好きからすれば、推しや好きな人間が同じ時代、同じ次元であることは当たり前ではなくて割と本気で奇跡に等しい。

好きな人が亡くなったり、トラブルで2度と言えなくなる状況になったりする可能性を考慮できていない(※余談1)。乱数のごとく突発的に自分の推しに直接的にお金を落とすことができなくなる状態は、ある日突然起きてしまうのである。亡くなるというのもパターンは存在し、天寿を全うしたり、ストレスの末重い病気を繰り返しながら夭折する人もいたり、自殺する人もいる。

この亡くなるという自然界に生きている限り起きてしまう現象で、この自殺だけ間違っているといわれがちである。まず、本当に追い詰められると自殺するための挙動を無意識に行うことがある。例えば、筆者がストーカー被害にあっていた際「電車のきそうになる線路に惹かれてその方面に夢中で歩き始める」ことがあり、それで線路に自覚症状なく飛び込もうとしていた。ある出来事で意識を取り戻したときに飛び込まずに済んだが、気づいたら死に無意識で向かうことは、自然界で死期を悟り自殺する生き物(鳥類)と同じような状態なのかもしれない。

自殺という選択肢は一方向で見れば間違いではない。それこそ自分で覚悟を決めて選択した答えと行動を全否定するような言葉もまた追い詰める言葉に感じる。選択自体が間違っていたと否定してしまうと、その人の最後の最後まで葛藤していた何かすらも否定しているような気がしてならない。自殺は不幸であると思う我々の道徳観からすれば、正しい意見を伝えている善意に過ぎないだろうが、この善意こそが人を追い詰めるのかもしれないと考えながら今日の晩御飯を食べ損ねた。

自殺した方のニュースを見て、2か月前にもお気持ちを表明していたことをなんとなく思い返しつつ、色々とぼんやり考えていた。永遠のゼロの映画を見た時にちょうど当該人物も出演されていたため、印象がその時のものは残っている。芸能人をそんなに知らない私ですら名前を知ってるようなレベルの若手の超有名人が亡くなったとは何事があったのかと心配になる。彼にも彼なりの悩みがあって、いろんな立場や葛藤がひしめいて、その辛さを1人で抱え込みすぎたのかと思えてしまう。

国民的に知られた有名人とか恵まれている立場とか人をうらやむことは簡単にできるけど、その立場ごとに悩みは尽きないものだし、人間に生まれた以上考えてしまうのだし悩まないはずない、と私は思い込んでいる。当該人物もそうであったのだろうと考えながらニュースを見た。

悩み続けて本気で苦しすぎると逆に相談できなくなるのはわかる。もはや誰にも言えなくなるくらいしんどくて、そうなった時は自分が害悪を振りまくことを覚悟の上でヘルプを出すしかない。実は害悪だと自分が思い込んでいるだけで、そうではないことが多い。実は周りは相談を受けられなくて亡くなったことを非常に思い悩みながら今後を過ごすのであれば、ヘルプを聞きたいだろうし、そう言った死んだ後の未来の仲間が「聞きたかった」と泣くくらいなら、害悪ですが聞いてくれと騒いだほうが良い。…彼は非常に優しくて周りのことを考えてしまって、ヘルプが出せなかったのかもしれないけど。

ただ、それは事実であるとは言えず、本当に客観的な情報がないため妄想でしかないのだけど。

これは三次元の知り合いにも適応できる話である。生きている好きな人に好きと言えるのは当たり前のことではない。その人が突発的に亡くなることも勿論あるが、事情で何も言えなくなるのは可能性も高い。その相手が引っ越して転校やら転職していき、距離感が遠くなってしまい言えなくなることもある。両親の離婚を見て、相手を大切に扱って尊重し合えなければ仮に結婚当時は好きな人とも離婚をするというものを見てしまったのである。

結論は「好きな人には言える時に積極的に好きと言いに行こうぜ!推しが亡くなってから言わなかったからと後悔したくないじゃん?」。

推しが生きているタイミングで好きなところや好きなことを伝えたり、推しに会いに行ったりしないと亡くなった後に絶対に後悔する。わたしは西城秀樹さんのライブに行かなくて、推しの最初で最後のリアルイベントが彼の葬式になったしまった人である。それがどれだけ苦しくて、どれだけ悲しかったかと思うと当時を思い出したくないレベルである。推しは推せるときに推しとけ。

彼に、西城秀樹さんのブルースカイブルーを捧ぐ。

余談


余談1: 推しを勝手に長生きするものであろうと高を括ってしまうのは非常に暴力的な結論で推しに期待をしているだけに過ぎないのではないか。そんな状態で急に亡くなった記事を見るときの衝撃たるや最初は頭が混乱し、動揺してそのニュースが真であるか否かを調べ、本当であることを確認してから現実を直視して泣くことしかできなくなる。

2020年7月2日木曜日

泣くなはらちゃんが好きだったなと



もう好きなドラマも7年も前の話になってしまった…という感想。


ずっと前から「泣くな、はらちゃん」というドラマが好きです。死ぬほど偏見なあらすじを書くと、主人公の夢女子が好きな漫画(連載終了)の二次創作をしていたら、ガチ恋しているキャラが二次創作ノートから三次元に現れて恋をする話で滅茶苦茶好きなんですよね。この夢女子は幸薄なので日々の鬱憤を二次創作で発散しています。

(はらちゃん好きな人から怒られるぞ)

夢女子がガチ恋しているキャラ(はらちゃん)を演じるのはTOKIOの長瀬さんで、ご存知?の通りめちゃくちゃコミカルです。


夢女子は美人でいい感じにおっとりしてておしとやか(写真では女優さんが死ねってやってるけど;非常に越前さんらしい)なので職場のイケメンから好かれます。ただ、その職場のイケメンは職場の若くて綺麗な女の子(悪魔さん)に好意を抱かれています。ただ、イケメンがまるで眼中にない夢女子とイケメンと悪魔さんの三角は「職場」という壁で悪魔さんとイケメンがもだもだしている印象です。(後の人間関係はかなりのネタバレになるので伏せていく)


悪魔さんはマジでかわいかったし、めちゃくちゃ好きなんだよな…それこそ昔は「三次元上だと結ばれない感じがして辛みしかねえな?」と思いましたが、社会人になり職場の人に手を出さないよなぁと今となれば思うところです。本当に葛藤するよなぁ…
(職場の人への気持ちなど、社会性と自分の気持ちとの葛藤なので…)

三次元と二次元のつながりみたいなものが本当に良くて、本当に良かったのでもし興味がある人がいたら見てほしいレベルです。自分はドラマは本当に見ないんですがはらちゃんは全部リアルタイムで見ましたね…
(もし語れる人がいたら語りましょう。)



本当に薬師丸ひろ子さんの役柄が好きすぎて「ふおおおお」となったので見てほしい。自分は彼女の気持ちが痛いほどわかる。

追伸:在りし日の菅田将暉さん


2020年6月23日火曜日

満足いくくらいオタ活をしきったので卒業

「あーやり切った!やり切ったよ!」

キャラ推しのオタ活を全力疾走で駆け抜けました。今の心境は満足です。ようやくゴールに来たような気待ちです。今ついにワシの穏やかに推し続けているコアなキャラ以外以外は卒業だなと。わかりやすい例で言えば冬馬くんと曹操様とアムロ・レイくらいかな。

ゲームのオタ活をやり切った達成感がすごくて満足したので、これを機にほぼほぼ足を引きます。健康的な課金額だったので、無理もなければ借金などは特にないです。とても満足いくくらい課金しました。

「ここまでやり切ったのだからもういいだろ」!と思えるくらいにオタ活をさせて頂いたので、別のところで別のオタ活をします。オタクはジャンルが広いのです。それこそ元の守備範囲の歴史研究とか無限にしたいし…

キャラ厨だったのでソシャゲも好きだったのですが、達成感に包まれたと同時にソシャゲへの愛も醒めたのでした。ソシャゲの卒業はメインだとグラブルとかかな。

実は沖縄回以前の精神を破壊した際にあつめていたグッズはすべて処分していて、一応まだSideMはモバだけやってるけど、ステくんは手を引いています。SideM以外は手を引いたのです(`・ω・´)

じわじわと足を引いていて、完全に沼から足を洗った状態になっています。人が満足というか飽きる時ってこんな感じなんだなと痛感している次第です。

SideMのコラボカフェなどは依然として参加するつもりではありますが、リアルイベくらいになるかもしれません。わたしはグッズをほぼ集めなくなると思います。

冬馬くんのグッズも縮小気味でしたが、服関係もそろそろJupiterの服がボロボロになったら捨てるようにします。衣替えみたいな。カバン類も少しずつオシャンに変えていこうと思う。いつも使ってるサンリオコラボのカバンはいい感じに大きな鞄が見つかるまで現役にしますけど…。時計は気に入ってるからずっと使いますよ。Jupiterの財布はボロボロなのでそろそろ買い替えそうだけど…。

今後はアニメ・ゲームのシナリオ厨として生きていきます。オタ活好きなのでオススメの漫画は読むぞい。後は…最近本に課金していてオタクグッズはほぼ買ってませんでしたが、今までのこのムーブをやめたので投資あたりにも金をかけていこうと思います。オタ活をしていた頃から貯金はしているのですが、ようやく投資に本気を出して行こうかなとは。ゆるふわ投資でちょっと資産は某騒ぎで増えたけどさぁ…トライアンドエラーをしたいってワキャキャする!

続く

2020年6月21日日曜日

歌の話

まずは感謝と謝罪を。聞いていただきありがとうございました。57回再生されててちょっと胃が痛いです。多分もっと再生されている人とかいるんですが、自分には多すぎる……耳汚しをすみません。

こんな感じで出るんですね~

ちょっと懺悔したくなったので書いています。普通に申し訳なさ過ぎて懺悔したい。後は音声データは記事投稿後に消しました……


------------


急にTwitterの録音機能を使ってみたくなった。きっかけはSecHack365の同期が「コーヒー飲みすぎたー」と若々しい声を投稿していてかわいい!!!!!!と思ったところである。ちょっと好きすぎて逆にいいねが押せなかった。(これは宮沢和史氏のツイート(※余談1)を読んでいるときと同じ状態)

実はTwitterの新機能が出るたびに何かしら挑戦しているわけであるが、声関係だけは声に対してのコンプレックスがひどくてできないと思っていた。

というのも小学生時代から今までずっと「おかまボイス」といわれ続けているため、本当は自分の声を人に聞かせることが苦行なのである。最初は母から言われ、同級生たちにからかわれ、自分でも気持ち悪い声であると思っている。このコンプレックスは声を整形できるのであれば絶対に整形に手を出すレベルのものである。(自分の声が非常に嫌い)

たまに人に声を聞かせているときに苦しくなる。かわいくない声だねと昔イケボの先輩ににこやかに言われたことも結構なトラウマで、その時はその先輩の目の前ではかわいらしい声を作ったりなどした。イケボにあらがえないんだよな。その時はなんだか声優のような気持ちだったが、そうするとさらに地声が気持ち悪くなって自分の声に対して「どうすればいいんだ」ともやもやと悩み続けていた記憶がある。

そんな私ではあるが歌なら習っていた(※余談2)ので声をカバーする技術力くらいは持ち合わせているため、録音機能を使うのであれば歌にしようと思ったのである。気持ち悪い声を世界に垂れ流さなくて済むと思ったことが大きい。今考えると何やってんだこいつって感じではあるが………

その時に曲を選ぼうと思ったとき、黄砂に吹かれてしか思いつかなかった。西城秀樹さんの曲とかもあるけど、あれは歌の上手いイケボのための歌なのでおかまボイスの私には声質に合わないというな…技術力の方でカバーできないかと数年くらい歌い方を模索しているところ………

黄砂に吹かれては工藤静香さんの曲であるが、工藤静香さんが本当に顔も声もかわいい。今年の1月くらいからハマっているけど、すべての人に押し付けたくなるくらい好き………ああいう女の子は好みなんだ……(Instagramで娘さんをフォローしている)

黄砂に吹かれての工藤静香さんの魅力は声もさることながら顔がいいし、一番は振り付けを踊りながら歌っているのがアイドルみあって好き。かわいい。

話を戻すと僕は声がアレなので適当に録音して投稿しようと思った。ただ、歌おうとしたときに黄砂に吹かれての歌詞を忘れてしまい購入していた一周聞きながら歌詞をインプットをする。そして一番は歌うときに声を大きくするわけにもないしなぁと思いながら、家事をしているときに歌うくらいの声量で歌う。家事の時はそんなに声を大きくして歌わないじゃん?うちの親の歌いながらふんふん家事をこなしている感じを真似した。
(黄砂に吹かれてを歌いながら掃除機をかけたり、服を畳んだりするのは楽しいっす。)

録音した後にこいつなにやってんだ………と思いながら投稿した。そして一度投稿してから初めてきいたけど普通に声が遠い。「もうすでに敗北(何に?)」と思いながらすでに誰かからきかれている事実をかみしめながら、うわあああああああとなりそうだった。なら投稿するなよと自分でも思うが、自撮りをする兄ちゃんも投稿してから恥ずかしくて消すより残しているしな……と考えつつ自分の愚かさに恥じ入る次第だった。

しかし、その後お世辞をいただくのが「うまいですね」と言われて「合唱団の時の僕ありがとう…」と思ったと同時に、声についてもなんか褒められてしまい声でほめられたことがなかったので照れて死ぬところだった。身に余る言葉をありがとうございました。

ただもう二度と録音機能で投稿しない。機能を確かめたので満足。(本当に声についてほめられたときに照れてしまったので割りと画面の前で無限に顔を真っ赤にしていた人)

油断したところでほめられるわけもないと思っている部分をほめられると照れて軽率に他者に惚れそうになるので、自己肯定感をあげなきゃ………


追伸:明日女性性のブログの投稿をするつもりですー。一週間内容を精査したのでようやくいけそう。

余談


余談1:宮沢和史さんはアラートでツイートされたら表示するようにしているし毎回尊い…となっているがあまりにも好きすぎてRTをすることがためらわれている。というのも本当に好きなものである場合は共有することがしのばれる。その状態を独り占めしたくなるというか、人に知らせたくないとかある。自分一人が知っていればそれでいいみたいな。
(最近、本当に好きになってしまうと逆に共有できないんじゃないかと思い始めているし、それがまたこじらせているような感じがしてならない。)

余談2:小学校の時に合唱団に入団していて、そこでソプラノのエースだった(一軍というべきか…合唱団の主催者の先生がエースと呼ぶ合唱団メンバーの中では誉れ高い?称号があり、それだったという話です)。その時に確か関東甲信越大会へ行ったのです。後は国で五本指に入るようなオーケストラとのコンサートとかもあったので楽しかったな…。それから中学時代も歌関係では技術力だけはずば抜けていた(と思う)ので、大学の教授から音大のスカウトされたりしたなど。今は社歌を歌うときにたまに本気を出して「おおー」といわせるのが楽しいと思うくらいの趣味。

2020年6月12日金曜日

2年4か月ぶりの推しの供給についての話

私は小学4年生のころから小室哲哉さんの楽曲が好きで、最初は機動戦士ガンダム逆襲のシャア(逆シャア)の時に流れてくるBeyond The Timeを聞いて「なんて緻密な音楽を作っているのであろう」と思いTMN沼に落ちました。世界観の深さ、完成度の高さ、ボーカルのきれいな声、何もかもが自分の好みで一瞬でどっぷり。

そこからSelf Controlや1974、Get WildやresistanceやBe Togetherなどを聞き(特に好きな曲を列挙しただけでそれ以外もたくさん聞いている)、TRFに進出し…という具合で、本当にずっと小室哲哉さんの楽曲を聞くことで幸せに生きてきました。本当にいいんですよ。
(最初にTMNの沼に落ちた要因として、宇都宮隆さんの声が王子様系のイケボだったことが挙げられる)

昨日たまたまアンジャッシュの渡部さんの不倫&引退の話題がたくさん出ていて(とてもつらい)、その時に小室哲哉さんも不倫をされて引退したんだっけかと思いだしてお気持ちを呟いたのです。その当時、あまりにも引退がつらすぎて小室哲哉さんのことを少し忘れようとか思っていたわねとか考えながら検索したら、ちょうど小室哲哉さんの出られるラジオがたまたま昨日告知されていて「噂をすれば影が差す」って本当なんだなと思いました。

25時からだったので滅茶苦茶眠かったのですが、実況ツイートを消すためにも色んなことをまとめていこうと思います。「2年4か月ぶりに推しからの供給や!!!!!!」とテンション高めだった深夜のツイートで荒らしてしまったので………
(基本的にガンダムのオタクなので、グッズなどの供給があることの方が少ないとならされているから小室哲哉さんの供給が少なくても…なれているんですけど………うっ)

まず最初に出てきたのはファンも気になっていたこの2年間の話で、これは結構個人的に聞いていて胸が痛くなりました。報道が出てきた当初も介護疲れであろうという話がちょくちょく出ていて、彼はどうやって休んでいたのだろうという疑問が目の前に出てきては消えていく状況で、一人のファンとしては呆然とするしかなかった記憶があります。

それこそ小室哲哉さんって親の関係があまりよろしくなかったからこそ、母親のように頼ることができたKeikoさんと一緒になったわけですが、その関係性が病気で崩壊したと考えると堪えるものがあったのではないかと考えてしまいます。でも支えようと頑張っているのは、愛があるからこそだろうと思えて好きなんですけどね。それこそこの数年の記憶がないと言葉を出す推しの心境を慮ると、本当に苦しかったのではないかと思えてつらい………

そうした「曲を作れない」と思っていた(これは心的な問題も、耳の病気も関係している)小室哲哉さんが、今の新型コロナウイルスの影響で創作意欲がわいた話が聞けてそこは救いでした。新型コロナウイルスの影響って結構負の側面が大きくて本当に個人的にはしんどいものがあったんですが、小室哲哉さんに「激動の時代に何か自分の表現を残してみたい」と思わせてくれたのは本当にうれしい気持ちでいっぱいです。そして、「やっぱり音楽を作るのは楽しい」と思うことが再度できたことは本当にオタクとしてはうれしい話でした。

こうして彼のおかげでこの世界の状態は悪いことだけではないと思わせてくれるのはこの激動の意義を考えるうえでも、とても良い判断材料になるのです。思っていたことを表現してくれた推しに感謝を…。「オンライン時代でヒット曲を僕も作ってみたい。1千万人の人が自分の意志で自由に自分の曲を聞くことができる時代で、一つでいいからヒット曲を作りたい」という野心が生まれてくれたのは本当にファンとしては感涙ものです。

(地球で一番好きな人間である宮沢和史さんがコロナに触発されて作曲をしていたりなど、本当にコロナのおかげで供給があってその点はコロナに感謝しているところではあります。人の命を奪うのは苦しいのですが………)

それこそTVの時代の時は強制力の高さで流行りの音楽は無限に流され続けていたので分かりますけれど、今の時代はそうした強制力はなく聞きたい人の自由な意思で聞くことができる。だからこそ、この時代でヒット曲を作りたいという小室哲哉さんの向上心って本当に美しいと思うばかりです。自由な意思の大衆に選ばれたいと思う強さも感じられて好きなんですよね………

その流れだったかはわからないのですが小室哲哉さんの言葉で自分に響いた言葉が出ていたのでこれはメモしておきます(支離滅裂なメモをしていたけれど、寝て起きて昇華したので意訳を載せておきます。)

小室哲哉さん「僕がモノづくりをする人間だからかもしれないけど、僕は僕の作ったもので誰かに喜んでほしいと思う。だから自分が良かれと作ったモノでも誰かに聞いてもらって、その人がいいと思うものを追求したい。ずっと初心を忘れず新人作曲家の心で、人のアドバイスを参考に曲を磨いていこうと思っている。僕の曲は受け取ってもらう人のための音楽なんです。

自分も一応モノづくりにかかわる立場ではあるのですが、自分の技術を振りかざすだけのモノづくりを行うのではなく、あくまで受け取り手(一般の利用するユーザ側)の立場を考えて作ろうと思える姿勢は見習うところが多いと思っています。立場が違えど同じモノづくりの人間であることでその矜持はよく考えます。実際に自分が尊敬するエンジニアの方はそうした姿勢を持っている方が多く、小室哲哉さんもこうした姿勢で私はすごくうれしい気持ちになりました。(※余談1)

(作曲の時に月曜の明け方まで一人で作業をして完成させていったし、それから打ち合わせとかもあった話をしていて、寿命が縮まってしまう…としょんぼりしたけど、彼がこの2年間で少し休んでよかった。)

推しが尊敬できる人で良かった。むしろ、尊敬できる人じゃなきゃ推しではないのですが。ただあれですよ。完璧は求めていないのでやらかすときはやらかしますよね。人間だもの。

その流れから作曲についての話題になり、「言葉を表現したかった」話が出ていました。元々TMNの時代では小室みつ子さん(※たまたま名字が一致。小室哲哉さんの親戚ではない)の作詞で作曲が小室哲哉さんだったのですが、そういえばTRFや華原朋美さんなどの曲を見ていると作詞作曲がTetsuya Komuroなんですよね。作曲で表現をしているときに曲の積み重ねで考えていたことを表現できなかったからこそ表現したかったという推しの発言が尊すぎて語彙を失った。英語わからんけど当てはめたとか、接続詞を有効利用したいか素敵すぎる。だめだ尊い。その時に「全盛期に戻りたいですか?」と聞かれた小室哲哉さんは笑いながら以下を話していて、もう一度語彙を失いました。尊い。

小室哲哉さん「僕は過去には戻りたくないです。あんな忙しいことって人生に一度あればいいです。ふふふ。皮肉なものですけど、この期間でようやく久しぶりに休むことができました。ずっと働き詰めだったので、久しぶりに向き合うことができた気がします(※意訳)」

自分の尊敬している人は過去を振り返らないようにしている人が多いというか、過去にもどりたいと思わないところが本当に良い。そう、小室哲哉さんも含めて優れている人は今を大切にする傾向にあって本当に素敵でした。自分は苦手なのでそういう美しいところを真似ていきたいです(反省)

後この発言で思ったのは…休みがないと考えることができなかったり、過去を客観的に見ることも難しかったりするので、彼がこの2年4か月で自分や音楽と再度向き合う時間ができてよかったと思います。本当に必要な時間だったのでしょう。私は立派な人間ではないので引っ張りだこになることはないのですが、言葉や考えと向き合う時間は大切なものであると思ったのでこれからも意識していきたいと思わせてくる発言でした…推しの言葉って学びが多いなぁ…

音楽について小室哲哉さんは本当に様々なことを考えている印象があって、彼の言葉は考え抜いた結果生み出された言葉に感じて本当に胸を打つことが多いです。「昔の音楽は破壊的だったけれど、そういう流れが突き進むのかと思いきや今の音楽は丁寧な音楽になってきた」発言は彼が時代の流れを真剣に見たからこそ生まれたもので本当に面白い。

小室哲哉さん「僕の歌は固有名詞を出さないことで、普遍性を出そうとしているんです。ポケベル…とかで時代を感じさせないのもそうだし、渋谷で土地を限定させないようにしたりして、曲の伸びしろを聞いていただく方に伸ばしてほしいと思っています。

この感じはStill love herやん!!!!!!!とテンションが上がりました。季節は出るけど場所がわからんっての多くてよい…Still love herで目立つ固有名詞が「2階建てのバス」と「車のサンルーフ」くらいかな(「もしあのときが古いレンガの街並みに染まることができていたら…」の下りは妄想だもんな)。本当にラジオ自体が色々とStill love herを思い出すような言葉が多くて、本当にStill love herやんけ…と思っていたらラジオの最後に流れてきた音楽がStill love herで、小室哲哉さんに無事に殺されました(完)


-------------------

【余談】

余談1:長くなった…

今の情勢的に(個人的にもそれほど好きではない)蓮舫さんの「クラウド」発言を取り上げてはおもちゃにしているエンジニアたちの風潮に対して醜さを感じて嫌気がさしています。個人的に彼女はそれほど的外れな発言ではない印象を受けています。だからこそ、エンジニアが技術系の話で大喜利などの一般人をおもちゃにしていく発言をしていくことで、技術を権威だと思い込んでいるのをさらに増長させるような流れを作ることが嫌です。それでさらに一般人から技術的な壁ができてしまう気がして、そこでまた対立が起きてしまうのではないかと感じてしまいます。

技術って受け取り手である一般人の立場を考えてこそ評価されたり、良いものになったりすると思います。なのでトップの作曲家の方が違う立場であれど相手のことを考える技術の使い方をしていて、本当にうれしい気持ちになりました。本当はそういう風潮を作る人より圧倒的な技術力を持つことで、行動を見せて圧殺すれば理解していただけるんでしょうけれどね………

2020年6月9日火曜日

来年の1月まで精進します

タイトル通り。というのも、諸般の事情で自分の当初の予定では精神との兼ね合いで1年かけるつもりの修業が半年以内と宣告されてしまい、覚悟を決めることにしました。半年と考えるとプランニングを自分で組み立ててみると、当初の予定の1年では結構私生活で余裕を持たせるつもりでしたが、2分の1しかないので寝ても覚めても修業をし続ける覚悟で臨む必要があるように感じています。

あ、だけど基本的に何か用事があれば、普通に時間は作れるくらいのあれはするつもりです!はい!(それこそ機会があればオフ会したいし…)

言葉を知りながら(余談1)のつもりでしたが、猶予がなさそうなのでちょっと6月15日以降から腹をくくります。なぜ明日からとか今日からではないかというと、本の消化をしたいのです。昼休みに課題図書を設定したので、それを読む生活を行うつもりですけれど、今みたいな読書ジャンキーはしばらくお預けとします。1月以降にガンガン読みたいけど、それ以降になったら次は英語の勉強に全力を出しているかもしれないですけど…

(怠惰な社会人なのでそろそろ読書しながら京都巡りしたい。多分辛くなったらこの半年の中でスケジュールがアレになってもやる)

ただこの一年間、コロナ騒ぎであまり動けないでしょうし(京都に行くのが難しそうなのが嫌だね)、いい機会なのだと思っています。ただ、正直自分は怠惰な人間なので努力が好きではないといいますか、努力が苦手なのでSecHack365で燃え尽きていて半年休むつもりだったんだけどな(余談2)と思っていました。半年頑張った後は半年充電しないと半年頑張れないんですよね。メンタルの回復と、経験に対しての言語化のためには時間が必要なんです。特に最近の質の良いイベントとかだと。

でもね、今のままではいけないと思っているのです。というのも、私は今自分に自信がないでしょう。それって、「自分は何もできない」ということでわたしなんかと関わってくれて、色々と教えてくれたすべての恩師たちのご尽力を否定している言葉を吐いているのです。勿論その中にはSecHack365もそうだし、セキュキャンもそうだし、大学の先生方、恩師の先生、友人なども含めて否定しているような気がしています。

私は色んな人の好いと思ったものに対して極力関わろうと思い、その良いものは全力で挑戦することで、素敵だと思う人たちの良いを知り自分に取り入れようとしました。それはその人たちが自分に対して友好的であるからこそ教えてくれたものであるのに、その良いものを盗もうとした自分を否定するのはほかの人を否定することにもつながっているように思えるのです。それに最近数週間葛藤しています。

まあ、あなたは自信を持てと色んな人から言われますが、私が自信を持たないとその人たちを否定することになるのだろうと思うと、それって傲慢なことなのではないかと思えて仕方がないのです。色んな人の優しい言葉を「自分はそう思えない」と自分に対しての卑下ではなくて事実としてそう思っていた言葉がたくさんあります。それを自分ではない別の人を傷つけたり焦らせたりする要因の一つにこの態度があったのではないかとも思えて、この態度は足りないものを補って余裕を持った態度を演出せねばと思わせましたね。ありがとう某くん。

仮にこの半年で実力が付いたとしてもその人たちの叱咤激励のおかげであって、自分一人の力であると傲慢にならないように言葉を持ちながら技術との距離感をはかって生活するように努めようと思っています。

自分に自信がない理由は単純でコア技術がないのです。今日の昼に嫌なことに気づいたのですが、自分はセキュリティの専門の研究室から大学は卒業したけれど、そういっていいほど知識がなかったのです。(何とはかけませんけれど)

半年で胸をはることのできるくらいの実力を身に着けられるか今はわからないのですが、胸をはることのできる実力をつけないと、そろそろ自分はこの自信のなさで周りの人たちの今までのご恩や優しい言葉を否定していく傲慢な人生を歩んで、ただでさえない人望を削っていくのだろうなと見えました。それがなんだか寂しくなってしまったので、1年は努力は嫌いなんですけれど精進しようと思います。

てかそうだよ、ある日空から米津玄師さんが降ってきたと仮定して、自信がない僕がアプローチできるわけねえだろ。自信持てよ。ってことで、まあ仮にそうしたいい出会いがあったとしても自分に自信のない人間が選ばれるはずがないのでやっていきやな!(煩悩がないと努力できないので…)

【余談】

余談1:言葉を学びながらと考えると自分は言葉が足りないし、それこそ実は今猛烈な言葉のスランプで、このブログ以外に表に出していない小説を10つ並行して書いているのですが、ここ数週間それも進まなくて何も書けなくなっています。言葉を知らないとと思うんですが、言葉が思いつかなくて、あと表現もできなくなってきています。葛藤が凄くて。

余談2:セキュリティキャンプ後半年考え続けて自分で答えを出すのに半年かけた

2020年6月8日月曜日

自分を客観的に見るのが難しい話

自分を客観的に見ることはできるかと言われるとおそらく誰しもが無理なのだと思う。それは私もそうなのである。

自分のことを「怠惰で努力のできない意識が低く教養もなければ技術もない人間」だと思っている。数年前からずっとそう自己評価している。自分のことで強いて言える良さは「考える力」があることくらいである。それもまだ良さというには未熟であることが、思索駆動の人たちを見ていて思った。

ただ、自分が他人からどう見られているのか実はあまりよくわかっていない。ある人を焦らせてしまった。自分は特にその人を焦らせたいと思っていたわけではない。その人に対しては尊敬の念を持っているし、本当にすごい人だとこちらが見ていて焦るくらいだ。

ただ、自分は…自分で言うのもおかしい話だが何につけてもインプット量がエグい。おそらく並の20代の方では太刀打ちできないであろう量のインプットをここ数年し続けている。内容としては低レベルなインプットであるかもしれないが、本当に毎日のようにインプットし続けているので、牛歩でも前に進み続けている。苦手すぎる英文も最近は少しずつ読めるようになってきたので努力が報われ始めている。しかし、最近の周りの人間は並の20代ではない(断言)ので、彼らと比べて自分は少なすぎるインプット量だと焦っているのもまた事実である。結果としては彼らと肩を並べるにはまだ能力が全然足りていない。

このインプットは習慣的にずっとし続けているし、私の性格的には今後もそうすると思う。誰かがそれは意味がないと言うものであったとしても、私は全力でインプットする。何に対しても。それが給料に反映しないオタ活でもなんでも。

そういう姿は人を焦らせるのだろうか。自分はいつも焦っている。焦っていることで周りに対して気を遣わせていることにも申し訳ないと思うくらい、自分はいつも焦っている。そんな自分が他人を焦らせる日が来るとは思わなかった。

そんな自分が嫌になる。

自分に他人を焦らせる価値や姿勢などないと思うが、ただ自分を見ることで焦るか否かは受け取り手次第だろう。そうして本当に申し訳なくなってしまって、ただただ悲しくなっている。

話を戻すと、自分はなんだろうとわからなくなるし、自分の客観的なイメージに対してもわからないと思う。自分の姿は他人から見るとなんなのだろう。愚かだと思われていると思っていた。事実として社会人になってからも、そう言われたことがある。だから自分は愚かだと思われているし、誰かの迷惑しかかけられないため生きている価値があるのかと悩み続けていた。

本当に会社とコミュニティには恵まれているが、自分自身は何も持っていない人間だと自覚していて、何かを持ちたいと喘ぐだけの怠惰な人間だと思っているし、事実そうだと考えている。なのに人を焦らせて苦しめたのではないかと。

結局自分は他者からどう見られていたのだろう。

結論がなくてグダグダしていて申し訳ないのだけど、人を焦らせる要因に「焦っている姿」はあるのかもしれない。よく言えば「スピード感のあるもの」は、嫌な見方をすれば「焦りのあるもの」に見えるだろう。わたしは焦りのあるものであるが、他者から見ればスピード感があると見えるかもしれない。それも、育ちの良いような見方の良い人からしたら、いい見方をしてくれるので私に対してかなりスピード感を感じてしまう何かに見えることもあるかもしれない。

余裕のある演出をしなければ、人に対して余計な部分で余裕をなくすことにつながるようだ。多分焦らせたのは自分の余裕のなさから相手を巻き込んだのだろう。自分の行いに対して反省をしつつ、修養して余裕を持って行きたいと思う。

2020年6月6日土曜日

別れ話と恋愛について

長引くかと思っていた病院が案外早く終わったため、帰りつつ歩きながらよい夜景のデートスポットになりそうな場所を見つけた。ほくほくと夜景を楽しみながらTwitterのTLで加速していた恋愛についての思考をしていたら、目の前でお若いカップルが別れ話を20分くらい繰り広げ始めた。不慮の事故である。

綺麗な夜景の図

別れを切り出す男の意見を聞く限りであるが、「おしとやかで可愛らしいかと思ったら、理想と全然違うため対象と別れたい」らしい。そこは理想と違うため別れたい気持ちがわからなくもないし自由だと思うが、どうしても微妙なものを見る気持ちになってしまう。存在を認知されず立ち上がることすらも遠慮している陰キャは「なんだかな」とまずは思った。

そもそも、こうした「相手に対して自分の理想を押し付ける行為」は自己愛でしかない。だからこそこの男性は対象に対して自己愛を押し付けながらも、この自己愛が報われるのは難しいと感じて別れたいと思っているのだろう。合理的な判断であると思う。おしとやかで可愛らしい人は甲斐性のある人と付き合うような印象を受けるため、理想をただ押し付ける彼にそうした甲斐性があるのかは疑問であるが、是非ともその理想をもぎ取って欲しいと観察者は思う。それに対して私は関係がないので。

この別れ話により「自己愛を押し付ける行為で双方が合意した結果付き合うと、自己愛の押し付けにより別れ話が生まれる」という好意を抱く上での個人的仮説が検証されていき、それが真になっている感じがしていった。ただこれは仮説検証のためのソースとしては1つのデータなだけだし、その人たちの人生をこの時の別れ話の言葉以外は何も知らないため、絶対的に正しいとは言えない。

もしかしたらハードルは高いかもしれないけれど、私は好きな相手のそのままを好きになれる関係性になると幸せになれるのではないかと思う。だから本当は妥協した結果の人と自己愛を押し付け合うことで理想に持っていくような付き合いより、自分を変えて理想的な相手と付き合う方が良いのではないかと思える。

例えば、その人に対して好きなものを 自分と一緒に行ってもらう ことでプラスすることはできるかもしれない。だけど、その人の人間性から自分の気に入らないものをマイナスにすることは難しいと思う。その行い自体はその人を認めているのではなくて、自己愛を押し付けてるだけに感じてしまう。道徳として間違っていることであれば指摘した方がその人のためになるし良いけれど、それ以外の個性の部分はその人の個性であるので、うまく共存をした方がその人との人付き合いとしてはよいものなのではないだろうか。

そういうものではないかと思うと、自分にとっては難しいものに感じてしまう。

対話ができたら、双方ともに付き合う上では1番幸せなんじゃないかとは思うが、この幸せか否かについては私の感性でしかない。対話について色々と考えてみるとハードルというか理想が高いのかもしれないしね…

今でも一応、人として好きだと思うことはあるけれど、私の感性でその人を好きだとして、自分がこの人に対して好意を抱かれるような人間ではないだろうと考えることがある。距離を近づけるために自己愛を押し付けた方が有利なこともあるが、それが果たして相手のためになるのか。

そうして考えるにつれて、恋愛はさらに難しく感じられる。

そうして別れ話をしていたカップルは私の近くから離れていった。私はカップルが去ったことで安心し、この恋愛に対しての思考を終えてから駅に向かっていたところ、二組のキスをしてる別れ話とは別のカップルのお邪魔をしてしまった(完)

(何だかとてもいたたまれなくて、人のいない影のところから帰ろうと思ったら、みんなそういうところでキスしてるんだもん!)

2020年6月3日水曜日

精神的距離感の掴み方ってわかりにくいよな

飲み会があったときにある人から

「○○さんのことを大切にしますね!(※急に言われた」
「○○さんのこと好きなので、敬意がなくなるとかそういうことが起きることはないと思いますね!(※急に言われた」

といわれて、それはそれはコミュニケーション力がある人だと思っていたけど、それほどほめられることに対して慣れていない自分は「なんやこいつ…」となった。飲み会はコミュ障なので基本ニコニコ笑うだけで黙っている自分は、会話を振られないと発言しないので、マジで相手から急にこうした発言をされた(※その前後にそれほどネガティブな発言はしていない)。文脈的にも発言が唐突だったので、すごく訝しいものを見る目で本人に「ええ…(困惑)」と言ってしまった(実話)

これは本当に人の心に土足で踏み込んできて急にぶん殴られたときの感覚に似ている。

こうしたことを言われるとき、まずは相手方に他意がないことを留意するのであるが、自分はこうしたときに距離感とは難しいと思う。例えば先輩として大切にします!とか、好きだとか言われているのはわかるんだけど、余りにも言葉の距離感が近すぎて「何言ってんだこいつ」となる。

その人に対してかける言葉もなかったので「あ…陰キャなのでまぶしくて目が溶けそうです……」というしかできなかったが、「陰キャ好きなので大丈夫です!」と言われて「何が大丈夫なんですか?!」となった。

追記:さすがに酒の場のノリだと思うので、これ以降引っ張るつもりもないです。

こういった精神的に距離感の近い人と会話すると「うぎゃーーーーやめろ!!!!!」ってなる(他意がないことがわかるだけに余計にやめてほしい。)

純粋に友好的な意味として接してきている相手から褒められた時「うぎゃーーーやめろ」ってなることが多い。ただ、うぎゃーーーやめろはまだ社会性で対応できている。しかし、少し距離感のおかしい褒められ方をされるとダイレクトにくるため死ぬことがあり、その距離感がおかしい褒められ方をされたときに「お前、他意がないことは知っているが、それをこれ以上されるとちょろい人間は惚れるからやめろ」ということがある……

なんだろう…私には私なりの適切な距離感が合って、その距離感をひょいと超えられてくると、途端にどう見ればいいのかわからなくなってしまって死ぬやつです。最近、そういう案件多すぎて「友情とは…」「好意とは…」と考えることが多い。死ぬ。

個人的な適切な距離感は少しだけ距離があるのかもしれない。ビジネス的な意味で接している場合、距離感を近寄られると困るだけで終わるけど、自分がとりあえずビジネスを取っ払って会話しているときとかだと精神的なパーソナルスペースをじりじりと寄られてしまうとちょろいので秒で惚れるからやめてほしい……
(前述の人にはビジネスで接しているので「ええ…」しか思わなかったけれど…)

個人的に距離感がおかしいと思うだけで基本的には人間としての距離感としては適切なのかもしれない。わたしは友情というものを築くのが下手なので、自分個人を褒められると恥ずかしくなるだけで……

砂上の楼閣

私はかつて努力のやり方がわからなかった。高校時代は努力をしても認められず、努力が認められている高校の同級生たちを妬んでいた。彼らはその努力を認められていることを当たり前のように得意げで、私も努力しているのにどこが違うのかと嫉妬し続けていた。

実力がないと素直に認めることが苦しかったこともある。

高校生の当時は今よりも努力家で、努力をする時間も、熱意も今の10倍くらいはあったと思う。それなのに認められないという事実が、余りにも悔しくて、自分は努力をしても努力を認められずまた結果も出ないことに対して憤りすら感じているほどであった。

しかし、その気持ちに対して表現をする力もなかったから、ただ怒りを持つか、泣くことしかできなかった。イメージとして頭に浮かぶけれど、それを言葉で表現することができない葛藤もあった。それがさらに努力と自分に対してのハードルを上げていった。

そんな私は大学一年生の時に効率の良い努力の方法をすごく優秀な研究者から教えてもらった。その人曰く、「対外に認められさえすれば表面的な努力でも、他者は努力をした人であると認めてくる」という話であった。努力の評価軸を完全に他者に合わせる努力の方法がコスパが最も良いということである。

私は彼の発言を信じて、その方法を取り入れてみた。そうすると面白いことに彼の言ったことは真であった。

初めにそのやり方が認められたとき、世界ががらりと変わった。そして、自分のこの認識に対しての恐怖が凄くなる。努力も実力も認められない状況よりも深刻で、努力していなくても実力もなくても認められてしまう世界に落ちていたのである。

(実力は無なので、4年間ずっと関わり続けていたある教授から「○○さんは何もできないけど運はいいよね」と言われたとき、彼は自分をよく見ているなと安堵した。ちなみに彼は色んな技術的なものを真摯に教えてくれた人であるため、知らずに発言しているわけではない。)

自分は何もできていなくて、変わらないのに対外に認められてしまうと、自分は何も変わっていないのに周りの目が変わってしまう。その時に踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったのではないかと恐怖した。しかし、それに気づいたときには手遅れだった。

手遅れであると認められた瞬間から、同じ領域の人間と思われる人たちのように努力をしようと考え、そうして実践し続けていた。私は怠惰であるからこそ、努力をする人間に対しての敬意と憧れの念が強かったので、今考えると彼らと会話ができるネタが欲しかったのだと思う。そして、努力の方法を少しだけ、アドバイスをしてくれた研究者とは違う理解ができるようになってきた。

「対外的に認められるものを生み出すための過程の段階が世間一般で言うところの努力なのではないか。そこを皆が認めているのだろう」

例えば、実力に無相応なものを申し込んで落ちても落ちても苦しくない。理不尽にはもちろん怒るけど、落ちたことには怒らない。実力不足だというのは痛感していたから、落ちてもそれはそれでしかなかった。そう思えてさらに読書などを行い修養するようにしていく。そうして気づいたら某に通り、それから気づいたら修了していたし、そうしたらさらに周りの態度が努力をした人間であると認めてくるようになっている。

私はずっと怠惰で周りに流されて努力をしているだけに過ぎないと思えるため、何が努力をしている人間であるかと恐ろしく感じるばかりであった。どうしても自分は息を吸うように本を読むし、気になることは息を吸うように活動することができるが、それを努力とは認められないし、何なら趣味である。

「努力とは何か」

努力とは、実力がついてからこそ努力を認めてもよいのではないかと思えてしまう(他人であればもちろん努力した過程を評価したいし、そうであると認めるけれど)。しかし現状の自分はいつもの環境の周りの期待に対して実力が追い付いていない。努力をしても努力は努力であるし、実力のない状態の努力である私の努力を「努力」と認めてしまうと、そこで成長を終えてしまいそうな気がしてそれがどうしても怖い。

元々怠惰な人間である私は、今も今までも努力をしたくないと思っていたし、努力をしないためのコスパの好い選択肢が対外活動であったはずなのである。ただ、期待をされてしまうとそこから落とすことが怖い。結局今の努力って、他者からの目を気にしている自分が、怠惰で暮らすために行っている努力に過ぎないのではないかと思えてしまった。

こんな虚無な人間にやさしくしてくれる人が多くて、それがうれしいけれど同時に申し訳ない。

そうして自分の実力もないのに外堀が埋められてしまい、「努力」を認められている自分のその持っていない「実力」のいる場所が、どうも砂上の楼閣にそびえたつ玉座か何かに見える。いつどこでこの砂上の楼閣は崩れ去り、人々が自分に対して失望し、離れていくかと恐怖する。寂しがりであるから余計そうなのだろう。

期待、実力、努力がイコールになるようにせめて努力をしようと、少しだけ努力を行いながら生きているが、今も自分の恵まれた環境に対してありがたさと申し訳なさを抱えながら生きている。いつか…せめて5年以内には肩を並べてもよいと思えるくらいには実力をつけて、こうした劣等感とお別れできるようにしたいと思う。

2020年5月31日日曜日

おデートスポットの話

大学時代から景色のいいスポットっていいよねと思っています。

元々関東出身なので(残念ながら連れて行く相手はいませんが)東京にはセンスの良いおデートスポットの候補を持っていて、おデートをする際はその中から相手の行きたいところを選ばせるようにしています。

(なお、開拓した際に参考にしたのは滅茶苦茶センスの良いInstagramのおじさんのおすすめスポットです。半分は私のセンスではない。)

関東でおすすめのおデートスポットでいうと結構そうした人がいないところがあるのですが、関西ではセンスのあるスポットを発掘してません。そういうスポットを増やしたいとは思うんですが、いかんせん一年目は某で休日開拓に行けず、二年目はコロナで開拓できていません。

関西だと強いて言うなら大阪城公園かな…お金を払えば大阪城の西の丸公園とか良いです。あそこは野鳥の会のご老人が多いけど…(趣味が老人のそれ)

関東民に勧めるおデートスポット一覧


昨年の暮れから今年の初めのタイミングでお台場の橋からスマホを落としているので、データがないものがあるため、写真データがない時はInstagramの投稿で補完してます。しばらく関東に帰ることができていない……

レインボーブリッジ


品川駅からバスが出ているので100円課金して乗りましょう。そして品川側から渡るんや。

歩ききってある時出てくるでーーんみたいな景色が良い。

閲覧者のおデートする方が歩くのに対して苦ではないのであれば、是非ともここは歩かせましょう💪

お台場行きたくなった時やコミケ終わりにお台場から品川に行く時とかここを歩きますわね…

レインボーブリッジ側からの東京大パノラマが見えます。とりあえず私は友人複数人を連れて行ったのですが、とても反応が良かった。

大学4年の当時、ここで一人で景色を見ながら写真付きで妄想を呟いたら、当時好きだった人から反応されて嬉しい!ってなった記憶があるな…(遠い目)

浜離宮恩賜庭園



人も少ないし、落ち着いているし、本当に素敵すぎるところです。野鳥もたくさんいるし野鳥を眺めるために行くのもよいかもしれない。

史跡としてもよくて、色々とみるところがたくさんあります。ただ、浜離宮自体は周りに何もないので、基本的に食事は食べてから行く方が良いと思います。

浜松町に芝離宮というところもあるのですが、そこもよいと思います。クリスマスに行ったときに野鳥の会のご老人しかいなかったぞ………

晴海埠頭



写真じゃよさが伝わらねえ…

晴海埠頭はTwitterでのバズを見ているので、今後増えたら嫌だとか思いつつ(ひどい)、ここはマジで人がいませんが景色は本当に綺麗です。海から東京を一望できるのですが交通の便が最悪すぎるため、クリスマスシーズンに訪れた際は2人しかいませんでした(実話)

予め東京駅で食事を済ませてから、飲み物を買っておきましょう。

ここも基本的にぼっちで行くことが多いのですが、たまにいるカップルとカメラマンが多いスポットだと思います。


世界貿易センタービル




個人的な夜景スポットでここを推します。好きです。

ここは課金して入る必要があるため、それほど人が多いわけではないのがみそです。

すごく夜景がきれいです。東京タワーやスカイツリーと比べると高さ的な意味合いでの見劣りがする部分はもちろん存在しているのですが、東京タワーと夜景の入ったところはきれいで好きです。

夜景好きなので、夜景かつ人の少ないところorコスパの良いところを探しがち……

コスパという観点で東京都庁もお勧めです。


無限に行きたくなるな…(´・ω・`)

門前仲町と隅田川




これは隅田川。

門仲はただのワシの推しの聖地なんですが、レトロな下町って感じで本当に良いのです。あとメトロしか門仲ルートをカバーしてないので、それほど人がいません。

クリスマス付近にぼっちで行きましたが、人がいませんでした。あ、可哀想な陰キャやな…

聖地の空気を吸うのは生きてるって感じで好きなんですよね。

門仲が飽きたわねってなればとりあえずスカイツリーを目指して歩くと最短ルートだと1時間20分かけて5.2キロで着きます。センスの良いところをふらつき隅田川経由にすると2時間くらい歩くかもですわね。わたしとか無限に歩きがちですが、歩くのは良いぞー。勧めておいてあれですがスカイツリーはそんなに好きじゃないけど…

五反田→大崎近郊の目黒川(冬季or春)




ここは桜が綺麗なスポットなのですが、冬季のイルミネーションのタイミングだとイルミネーションが綺麗です。

確かメトロとJRが通っていて交通の便は良いのに人が少ない。

イルミネーションは綺麗ですが、カップルがそれほどいないので戦場のようなイルミネーションを相手に連れて行かなくて済むと言う意味合いでお勧めです。あと夜桜でも戦争にならないし。

とりあえず適当に歩くのに良いです。

みなとみらいの臨海パーク近郊



これは近郊で撮った写真。その後知らん人から一眼で写真を撮ってくれと言われて撮ったのに、写真データを送ってとも言われず困惑した。なんだったんやアレ…

写真はないのですが夜景が綺麗(夜景が綺麗)

基本的にこういうスポットはぼっちで行きますが、無限にぼーっとできます。

人はランドマーク近郊より少なくて比較的落ち着いています。横浜自体が東京と比べると落ち着いているところではありますが。

大桟橋




写真センスがなさ過ぎて魅力がわからんな……

比較的人の少ない、みなとみらいを一望できるスポットです。基本的にここはみなとみらいから歩いていくと良いと思います。(歩くのが好きなので、選択肢が歩く以外持っていない。)

実は一度、大桟橋から有料席で花火大会に参加したことがあるのですが、行く相手がいなくて一人で見た記憶があります。親から独り身なのにボックス席のチケット貰ったねん。普通にカップルに囲まれながらボックス二人席で見ていたのですが、今考えるととても可哀そうだな。

番外編


これはそれほどお勧めしないけど好きなところです。とりあえず山。

大山




大山はいいぞ~~~~(神奈川の中央にある山)

久しぶりに行きたくなっている山の一つです。交通の便があれなので、実家に帰省した時にホテル取っていこうかな……(多分早めに行けば帰れなくもないとは思う)

ここは豆腐がおいしいです。豆腐は湯がいて塩で食べるのがいいんやねってことを伝えてくれた山ですわね。基本的に自然が好きなので山も好きなので、山の話が多くなってしまうry

筑波山



景色がものすごく良かった気がする。

おわり\(^o^)/オワタ

さて、こんなところですが、趣味の土地にはご老人が多く、わしのセンスはご老人なのであろうかと若干心配になるチョイスですが、人を連れていくと良いと思います。私はもうあきらめているので、他の人たちは行ってほしい……

おすすめということもあり自分の好きなスポットなので、もしかしたらたまに私とエンカウントするかもしれないですが、気づかなかったふりをするので安心してください(?)

2020年5月29日金曜日

差別意識の発露

これは本当に自分自身が最低であるという自覚をしたとともに、それに恥じている次第ではあるが………

自分が無自覚でそれゆえに内在する差別意識が発露し、その結果として人を傷つけた事実を慮ると、どうしても自分の差別意識に対しての気持ち悪さがにじみ出て自己嫌悪でいっぱいになる。差別意識自体が無自覚であったことも一因ではあるが、自分が差別意識を持っている人間であることを自覚した瞬間の嫌悪感と罪悪感は筆舌しがたい。

自分自身が無自覚に差別心を持っていると考えると、自分自身が今まで無自覚に差別的な発言をしていたのではないかと考えられる。その途端にどれだけの人を自分は今まで傷つけたのだろうと思うと、その人たちの悲しさや憤りを思えば胸がつぶれる思いである。

そして、自分がその無自覚な差別的な言葉を表現することで、自分が差別意識を増長し、差別に加担していた事実を考えるとなんと卑しくて醜いものであろうか。指摘してくれた人の言葉がなかったらまだこの言葉を続けていたのであろうかと思うとゾッとする。

今、こうして自覚をしたことが自分にとっては幸いであった。未来に行わないようにして被害者を最小限にとどめることができたことはありがたいことである。こういった方向に持っていこうとできたのは、指摘をしてくれる人の存在があってこそである。恵まれているからこそ、こうして指摘してくれる人がいることを再度確認することができたので、これは心から感謝しかない。

おそらく、これまでもこれからも申し訳ないと言葉を出すが、この申し訳なさは許されたいわけではなく、精いっぱいの罪の自覚と懺悔であり、この差別意識そのものを当事者からは絶対に許されたくはない。許すという行為が一種の被害者側から出るあきらめのような、そういった被害を受けた側の慈愛から生まれるものであると思うので、そんな労力を自分なんかに割いてはほしくない。

罪の懺悔を許す行為は、それは非常にパワーを使うため、当事者の方にそんなことに力を使わせるより「この卑しい人間にはもうかかわらないでおこう」と空気を見るように思ってもらったほうが、その人の身になるのではないかとも感じる。差別を仕向けた人間へ関わろうと思うとそれは恐らくどうしようもない精神のすり減りと向き合わなければならないであろうし、自分自身にはその体力を相手に使わせるほどの人間性を持っているわけではない。

この問題の極めつけは、自分の無自覚に抱えている差別の目と向き合わなければならないと思い、そのためにも言葉を欲し、何らかの本を読もうと思っても結局そうしたときに参考になりそうな本が見当たらないことである。人間性のできていない自分が23歳にしてようやく差別意識と向き合ったことがないからか調べ方がわからなくて、読みたいと思える本が目の前にない。タイトルや表紙から煽り続ける最も求めていない本しか目の前に現れない。自分が如何にその点で怠惰を極めていたかとさらに自分に対しての愚かさを痛感する次第だった。

追伸:こうした無自覚な差別発言を行ってしまったことで自覚したことは、差別発言であるということ自体をそもそも認知していなかったという愚かな事実がある。そして、指摘されなければ差別意識がないとは恐ろしいことである。無知を言い訳にしたくないので学ぶつもりではあるが、無知に対する恐怖を感じる部分があった。

2020年5月27日水曜日

人生とは刹那的なのではないかと

100年は長いようで短い。人間が個人的な人生を歩む上で100年は長い。しかし、歴史で考えると100年はあっという間である。

ちょうど第一次世界大戦が100年近く前で、そのときにはまだ戦争の手段が馬も用いられていた。今や無人飛行…ドローンで敵地へ爆撃が可能な時代であるし、先日報道されたように通信を妨害してサイバー攻撃で嘘の情報を流して敵を殺すことだってできる。そう考えると100年で技術の進歩がめざましい。

それ以上に藤原道長の時代が1000年前と考えると、1000年前の人たちがまさかこんな文明になっていると想像がついていなかっただろうとも思う。藤原道長が京都で雅を追い求めていたり、京都の恋は顔が見えない相手との文通で決まっていたりする中、まさか1000年後には世界の顔の見えなくて知らない人とやりとりをして繋がっているとは思うまい。

1000年前から紙も電子媒体に置き換わり、物理的にあるのがないのかわからない状態になるなんて、想像がつくものだろうか。わたしが1000年前の人間だったとしてイメージはなかったと思う。

そう考えると、我々が3000年の時代に対して何もイメージがつかないことは当たり前ではあるけれど、更に凄まじい発展をしているのだと思うと、なんだかゾクゾクするものを感じるし、それを見ることが叶わないことは少しだけ寂しい。

時代の進歩を見ることができるのは、生きている人間の特権である。死んだ人間、過去の人間には生きているからこそ獲得できるその権利がなく叶わない。この未来を見る権利は過去の人間が喉から手を出すほど欲するものであると考える。未知であるがゆえに、未知に対しての好奇心がくすぐられるだろう。それを欲する人は過去も現在も多いと思う。でなければ、死を考える人がここまで世界に多いはずもない(主語がデカァイ!)。

未来を見る権利を有効活用するためにも修養し、考えながらその出来事に対して判断しながら見ることができたら、未来を欲していたが亡くなった人たちの分も(その人たちな言論を頭にインプットしながら)有用に覗くことができるのではないかと思う。それは未熟なわたしにはこれが本当であるかはわからないけれど。

そう色々と考えていると、人生とは刹那的なのではないかと思わせられるものであった。

2020年5月26日火曜日

名著といわれるものほど何故か悲劇が多い気がする

先日、ある人と名著はバドエンが多いという話をしていたわけであるが、名著は悲劇ばかりなのだろうかと思い返すと、読み終えた後にいろいろと考えさせらえる小説ほど悲劇が多かった。(バドエン:バッドエンド。悲劇のこと)

例えばわたしは夏目漱石先生のこころが高校一年生のころから好きで、あの話の内容もかなりバッドエンドであったことを思い出すことができる。単行本の帯にちょうど先生のセリフである「恋は罪悪ですよ」と書いていたのが高校一年生の時は結構強烈で、読んでみたいと惹きつけられる言葉であった。というのも、当時の自分にとっては恋に対しての罪の意識がなかったからである。

強烈なインパクトに惹かれ、本屋で購入を決意するものの、当時はまだ初心だったのであの帯のかかっている小説をレジに持っていくのは非常に恥ずかしく、「恋は罪悪ですよ」と書いている帯を見せるとかはしたなくなかろうかと考えていた。今は恋は罪悪ですよという先生の発言に共感こそすれ、謎だと思う部分があまりない。

今は太宰治の斜陽も好きだけど、斜陽もバドエンである。すべてが破滅に向かっているし、それこそ主人公に対しては何と戦っているんだという気持ちになる。いや、あの話は主人公単体だけで見ればバドエン寄りのハッピーエンドなのかもしれないけれど。同著者の代表作品である人間失格もバッドエンドであると思えば、バッドエンドに向かう小説は名著であると考える説は一理あるかもしれない。

ソースは3だったのでぐぬぐぬしていたとき、この話のタイミングで指摘されたのが、それこそハムレットとロミオとジュリエットしか読んだことはない(※内容が記憶にほぼない)がシェイクスピアは悲劇を書いている人であるようだ。なるほど、確かにハムレットは読了後の感想が胸糞悪いと思ったし、びっくりするくらいみんな死んだな…みたいな印象を高校生の時に持ったけれど、冷静に考えるとバドエンである。

筆者不明の竹取物語は帝とかぐや姫の仲的な意味ではバッドエンドに感じるし、ヘミングウェイの老人と海は個人的にはバッドエンドに感じたし、宮沢賢治の銀河鉄道の夜も友人がもれなく死んでる?行方不明?なのでバッドエンドである。なんだかんだ、芥川龍之介の蜘蛛の糸もバッドエンドだと思っている。まだ読むべき本は多いので、ソースとしての力がうっすい気もするが、適当に思いついた小説はほとんどバッドエンドであった。

こう適当に書いていると、「待てお前、あしながおじさんはハピエンだろ。ハピエンも探せば腐るほど出るやろ。そもそもこの記事の名著とか悲劇とか主語がでかいぞ」とhoge警察が出動するが…
(あしながおじさんは手紙という題材で主人公の成長を感じられるし、作品が進むにつれて魅力的な女性なのがわかるようになっていくのが面白いと思いました。)

悲劇性の高いものは世界観の中に不条理が蔓延しているからこそ言葉の力が強く、それゆえに人々の記憶に深く根付くのだろうと思うと納得がいくところであった。不条理に否応なく直面すると、人は自分の存在意義に対して深く考えなければならない。その存在意義を考えているときの葛藤こそ、人の心に訴えてくるものなのではないだろうか。

個人の生き方と個人のしあわせを追求するのであれば、誰の記憶にも残りにくいハッピーエンドを望むけど、人々の記憶に強く残る、衝撃を与えるものは悲劇性の高い終わりである。悲劇には、筆者の苦しみと葛藤とあえぎが記載されているからだ。