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2020年5月26日火曜日

名著といわれるものほど何故か悲劇が多い気がする

先日、ある人と名著はバドエンが多いという話をしていたわけであるが、名著は悲劇ばかりなのだろうかと思い返すと、読み終えた後にいろいろと考えさせらえる小説ほど悲劇が多かった。(バドエン:バッドエンド。悲劇のこと)

例えばわたしは夏目漱石先生のこころが高校一年生のころから好きで、あの話の内容もかなりバッドエンドであったことを思い出すことができる。単行本の帯にちょうど先生のセリフである「恋は罪悪ですよ」と書いていたのが高校一年生の時は結構強烈で、読んでみたいと惹きつけられる言葉であった。というのも、当時の自分にとっては恋に対しての罪の意識がなかったからである。

強烈なインパクトに惹かれ、本屋で購入を決意するものの、当時はまだ初心だったのであの帯のかかっている小説をレジに持っていくのは非常に恥ずかしく、「恋は罪悪ですよ」と書いている帯を見せるとかはしたなくなかろうかと考えていた。今は恋は罪悪ですよという先生の発言に共感こそすれ、謎だと思う部分があまりない。

今は太宰治の斜陽も好きだけど、斜陽もバドエンである。すべてが破滅に向かっているし、それこそ主人公に対しては何と戦っているんだという気持ちになる。いや、あの話は主人公単体だけで見ればバドエン寄りのハッピーエンドなのかもしれないけれど。同著者の代表作品である人間失格もバッドエンドであると思えば、バッドエンドに向かう小説は名著であると考える説は一理あるかもしれない。

ソースは3だったのでぐぬぐぬしていたとき、この話のタイミングで指摘されたのが、それこそハムレットとロミオとジュリエットしか読んだことはない(※内容が記憶にほぼない)がシェイクスピアは悲劇を書いている人であるようだ。なるほど、確かにハムレットは読了後の感想が胸糞悪いと思ったし、びっくりするくらいみんな死んだな…みたいな印象を高校生の時に持ったけれど、冷静に考えるとバドエンである。

筆者不明の竹取物語は帝とかぐや姫の仲的な意味ではバッドエンドに感じるし、ヘミングウェイの老人と海は個人的にはバッドエンドに感じたし、宮沢賢治の銀河鉄道の夜も友人がもれなく死んでる?行方不明?なのでバッドエンドである。なんだかんだ、芥川龍之介の蜘蛛の糸もバッドエンドだと思っている。まだ読むべき本は多いので、ソースとしての力がうっすい気もするが、適当に思いついた小説はほとんどバッドエンドであった。

こう適当に書いていると、「待てお前、あしながおじさんはハピエンだろ。ハピエンも探せば腐るほど出るやろ。そもそもこの記事の名著とか悲劇とか主語がでかいぞ」とhoge警察が出動するが…
(あしながおじさんは手紙という題材で主人公の成長を感じられるし、作品が進むにつれて魅力的な女性なのがわかるようになっていくのが面白いと思いました。)

悲劇性の高いものは世界観の中に不条理が蔓延しているからこそ言葉の力が強く、それゆえに人々の記憶に深く根付くのだろうと思うと納得がいくところであった。不条理に否応なく直面すると、人は自分の存在意義に対して深く考えなければならない。その存在意義を考えているときの葛藤こそ、人の心に訴えてくるものなのではないだろうか。

個人の生き方と個人のしあわせを追求するのであれば、誰の記憶にも残りにくいハッピーエンドを望むけど、人々の記憶に強く残る、衝撃を与えるものは悲劇性の高い終わりである。悲劇には、筆者の苦しみと葛藤とあえぎが記載されているからだ。