残念ながらオンライン街コンが合わない人間らしいので、オンライン街コンをことごとく非難しているため、こんなクソ野郎だったのかといわれかねないかもしれないですが、オンライン街コンの話です。
長文前座無駄話のポエム【ここから】
先日「自己愛について」悩んでいたところ、社外活動で知り合った人からプラトンの饗宴を教えていただきました。読んでいてとても面白いと思ったと同時にふと「では僕は出会いがなくて悩んでいる可能性があるのであろうから、街コンに参加してみるか」と思い参加しましたのでレポートを記しておきます。
動機のもう一つは「結婚披露宴呼べよな☆」的な発言をされた際「神になって今から結婚できるような人間を創造するより出会う方が早いだろうな…」と考えて、さて出会い自体は実はエンジニアですから多いといえば多いんですが、彼らは仕事として出会う可能性が高いですし、そもそも私に対して恋愛として見ているわけではありません。後、出会いを求めている人間たちに対してなら、仮に自分が話してみてこの人は素敵であると思ったときに、その気持ちを押し付けても構わないだろうと判断しました。
それこそ大学の後半から現在まで本当に素敵な人たちと出会うことが多くて、事実として私という人間は非常にちょろいため油断をするとすぐに惚れてしまいそうになるのですが、自分に対して人間として仲良くしてこようとしてきている相手に、自分が好意を抱くことで人間関係を壊したくないのです。それが怖くて怖くて、それを起こさないためにも他の環境で誰かを見繕うことができたら、自分にただの友好的な感情を持っている人に対して、雑念なく友好的な感情を返せるだろうと思いました。
相手が友好的な感情を抱いているだけに過ぎないのに、自分が恋愛感情を持ってしまうと暴走しそうで、それがどうしても怖いのです。そうして人間関係を破壊するときに相手に振らせる労力をとらせて、それで傷つけることも嫌なんですが、同じくらい自分が傷つくことも嫌なのでしょうね。これは本当に小声で書いておくと、読書関係なしだと理系の男性の方が好きなんですけど、こういう出会いの場の本を読まない文系の男性の多さにつらみを感じた。
(ただ、こういう場で出会う人は好きになれないというのも自覚しているため、正直言えば無駄な時間を過ごすことになることは想像していました。偏見を抱いているだけに過ぎないでしょうが、自分が一番人間に欲している対話ができないので)
私は人を恋愛であったとしても、人間的にであったとしても好きになるということに対して、自己愛を他者に押し付けているのではないだろうかと考えてしまいます。現状の友人以外に「好き」を押し付けることに対して恐怖を覚えているため、街コンでの出会いを頑張っている人たちを見ることで自己分析を深めたくて参加する1.5h前から胃を痛めているところです。
彼らはどうして人と出会いたいのでしょうか。モチベーションも知りたいと思います。調べた限りですが、恋を求めているのでしょうか。結婚するための名前を貰える相手探しでしょうか。依存する先でしょうか。専業主婦になりたいのでしょうか。やり捨てするための人間探しなのでしょうか。それとも、私のように自分の今いる環境の周りにたくさんいる優しい人たちに惚れないようにするためなのでしょうか。
オンラインじゃなかったら参加しませんでした…
ちなみにドMなので(大嘘)胃を壊すために参加しただけに過ぎないため、出会いがあったのかといわれるとないですね………無理だわあんなん…二度と婚活系とか恋活系はやらない……
(こうしたものを参加した後だと友人たちが如何に善良な人間であったかなどと思って無限に惚れそうになるが惚れ症!!!!お前そういうところやぞ!!!!!)
長文前座ポエム【ここまで】
実際のオンライン街コンの流れ
登録
適当にその地域に合う街コンでタイミングの良いものを見つけます。
↓
適当に安くてまともそうなオンライン街コンに登録してみました。
(これは9割人間観察をするためのものなので、民度が低くてもよい。)
↓
料金を支払う。
↓
登録完了
街コン運営に対して本人確認などを行う
↓
前哨戦的なメッセージが飛んでくる
↓
始まる
↓
会話を行う
↓
おわり
本人確認をする際にちらっと見えた「大手企業在籍です」「一流企業です」みたいな肩書きがちらりと見えて、こういうところで大手企業以外のアイデンティティの出せない人はそれ以外に魅力がないことを自認しているようなものなのではないだろうかと思えて、個人的にはげんなりしてしまいました。個人の見解なんですが、個人的な魅力があったり、その人なりの良さがあるなら会社名って全く必要がないと思うんですよね。教える気はなかったんですが、私は会社名は名乗りたくないし、また相手の会社名を知りたくもないなと思いました。エンジニアであることすらこれは名乗らない方がいいかもしれない。
[鍵マーク]顔写真を登録してください>
顔写真を登録しないといけないという謎の文化(そりゃ出会いを求めているんだから当たり前なんだよなぁ)の通過儀礼のようなものがあり、これを見た地点で「なぜこんな虚無に申し込んだんだわたしは…」と目が死にました。 結局顔写真は登録しなかったんですが(え?)、さらに自己紹介欄があって、年収とか職業とか会社名とかそういうものを知りたがっている感じで、人間の醜さと言いますか、欲の深さをまざまざと体感する状態でありました…
会社名とか兄弟構成、学歴などは正直に申せば、ギラギラしている知らん人に教えたくないじゃないですか。私がそれを話せるのはなんだかんだ界隈の人たちだからだったのかと痛感し、だったら界隈の人と付き合えばいいじゃん(?)と思いましたが、仕事だからと思うと、仕事外で探さなきゃ…と元にもどりました。セーフ。
(しかしどうして他の女性参加者の方々は学歴も仕事も付き合った人数も何もかもかけるのだろう…?自信があるからだろうか………)
始まるまでの間に何件か足跡やいいねが来て、それから質問も届く。「休日は何をしていますか」という質問が来て「読書ですね」と返す。私を知っている人なら読書を知ってくれているだろうけれど、知らない人だから聞かれたのだろうと思うと、Twitterのフォロワー様ってすげえって思ってしまった。
「良かったらなかよくしてください」というありきたりなメッセージが届き、仲良くするにも仲良くしたいと思えるくらい話せたらですわねみたいな遠い心で見てしまう。
あとは「初デートで行きたい先は?」という運営からの質問がしつこくて、その時何を考えたのかわからないけれど「二条城」と記載する。初デートに行きたい先の二条城について、誰からも触れられなかったのが残念ではあるが…
そんなこんなで始まるのであった。
実際のオンライン街コン
顔写真を載せていないこともあり、写真をDMに載せてくれと送られてくることが多く、ものすごくその地点でげんなりする。おめぇ顔より対話だろjkと返したくなったがぐっとこらえ、淡々と返すものの相手の人間性は推して知るべし状態。
まず、話をしてみて理解しましたが、間違いなく皆さん恋を求めているようです。これは断言します。当たり前ですけれど。恋をしたいのはわかるんですが、この場合の恋って恋に恋している感じが凄くて「人柄を知ろうとする気配がない相手に恋ってどういうことなのであろうか」と考えてしまいます。人柄を知るためには対話をしたらよいと個人的には考えますが、恋をしようとする場合、感情を優先する傾向にあるのか、ひたすらに感情をぶつけてくる相手方。言葉をかけても感情が返ってくる。
そうです、読んでいてお気づきでしょうが圧倒的に対話ができないのです。相手のことを知ろうと思うんですが、どうしても相手が自分の感情や肩書とか顔とかそういう話に持っていきがちですし、質問に答えるわけではなくお茶を濁されていることが多い。読んだ本くらい言ってくれよ、それくらいなら言えるでしょうとか思ってしまう。相手がビジネス書を読んでいると聞き、どんな本なのかと返せばスルーされ、相手から読んでいる本を返せば哲学書面白いですよねと返してきたので、哲学書について深堀しても読んでいないみたいで知ったかぶりな回答をしてくるとそれはもう呆然としてしまいます。
その人の読む本というか、読書の傾向によって人となりを若干見れる気もしているんですが、それすら許されねえのか…
趣味の話を聞こうとしても、例えば私は趣味で楽しくマシンガントークされたらなんか面白そうに感じる単純な人間なんですけど、なんか知らんが趣味を話しているだけなのに臨戦態勢でクソつまらん。何故か始まる上下関係?!趣味の話なのに全力で疲労する。
後は婚活はなんだかんだ男性の方が強いのでしょうか?全体的に「亭主関白な態度をとるつもり満々です」的なノリの言葉を使う風潮を感じられ、対等に会話することの難しさについて考えさせられる次第でした。私は専業主婦になりたいと思わないことと、父親を思い出すと亭主関白な態度について、かなり対話のできなさというものを痛感する出来事でした。給料とか安定して働けるのは男だとか、会社はどうとか、そういうことで女性と争いたい気持ちがわたしにはわからない。そんな人間として小さく感じてしまう話題をなぜ恋人探しでできてしまうのかな…私には気持ちがわからない。
わたしはオタクとオタクな会話をしているときの楽しさを知ってしまっているからか、こうしたところにいる人の会社で殴ろうとしてきたり、亭主関白な男らしさ(笑)で話を従えようとする人たちとやり取りをしていて、本気できつい。対話のできる相手と話し続けられる関係性が一番素敵だと思うんですが、それを求めること自体がそもそも高望みなのかもしれないです。でも苦しい。肩書か、顔か、男に下がった態度でなければ会話ができないのが苦しい。女は稼げないという圧倒的な自負からくる見下したような言葉をされ続けていることを自覚する。一方的なメッセージできつい。こんなもの対話じゃない。
対話ができる人ってそんなに高望みなのか?
私は元々かなり教養もなければ思慮の浅い人間であると思っているのですが、そんな自分と対話をしてくれる方というのはやはりいろいろと考えてくださっているからこそ対話ができていたのだと痛感してちょっと涙が出そうになりました。嘘です、ちょっと泣きました。そして、知り合って20分も経たないうちにラインを交換しませんかといわれ、いや、それは嫌だなと思って本心に気づきました。対話ができない人間とラインでやり取りなんて無理です。わたしはプロじゃないのです…キャバ嬢じゃないんですよ。
後、これは面白いことをいうと、最初の懸念である「大手企業の社員を名乗る人虚無説」は事実でしたが、それを自慢するだけであるため対話はできなかったけど苦しくはなかったです。まあ、大手企業の社員なのである程度の人格が見込めたのでしょうか。婚活市場にいたら魅力を感じるという話はすごく良くわかる。自慢されるか言葉で見下されるかなら、自慢された方が精神的に良いと思えるね。
そうして一時間でギブアップしました。多分オンラインもオフラインも街コンとやらにはもう参加する必要もないでしょう。そして、人間に対しての期待をどんどんと破壊したので、「対話できない相手と焦って結婚するのって絶対に地獄だし、1時間で修業したレベルなんだから、独身の方がn倍マシですわね」と思えるようになった。ありがとう街コン。
プラトンの饗宴は私に「自己愛でも押し付けてええんとちゃう?相手に奉仕してればええやん」みたいな考え方を与えてくれましたが、自己愛は押し付けすぎると致死量で死ぬ。