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2020年5月31日日曜日

好きな人間に自信がないことに対して

私は人として好きな人間がTwitterにいて、その人のつぶやきを見るととても嬉しい気持ちになり、それから少し幸せな気持ちになる人がいます。言葉の思慮の深さと言いますか、彼のすごく考えて生まれたであろう葛藤からくる表現に私の美意識の中では非常に美しいと思うところが多いのです。本当に素敵だと思い、こころから慕っているといっても過言ではないでしょう。

ただ、その彼が何につけても自信がなさそうな状態であることに対して、私はすごくもどかしい気持ちになります。

私はその人自体に何か立派なものを求めているわけではなく、その人の言葉、その人が如何に葛藤したのかがわかるつぶやきに対して、敬意と好意を抱いています。その気持ちは彼が追い詰められているときからそうであると思うのですが、彼が何をつぶやいていたとしても自分の中では彼の言葉がとても素敵だと思うため、彼が何かと「自分には何もない」と言葉を出すことで自分は見ていて苦しい気持ちになります。

好きなものを好きな対象が否定しているときは、ファンとしては言葉にできないくらいいたたまれない状態になるようです。

素敵だと思う人が自分からすれば素敵だと思う部分に対して、劣等感を抱いている状態にひどく悲しい気持ちであることがわかりました。何に対して苦しんでいるのか、何に対して辛くなっているのか私にはわからないところが多いかもしれないです。ただ、どうしてもその人の劣等感に対して(おそらく自分が劣等感の塊であるからこそ、ではあると思うのですが)あなたはあなたのままで魅力的であるのに、どうしてそんなに苦しそうにしているのですかと言いたくなってしまいました。

ただ、自分も劣等感の塊であるからこそ、その劣等感で苦しんでいる様に対して声をかけることで解決するわけではないこともわかっています。劣等感とは自分の中でしか解決することができないし、その劣等感に対して向き合って乗り越えられるのもまたその人しかできない。私はその劣等感とそれに付随したネガティブな思考に対しての問題とぶつかっているからこそ、その人に対してその劣等感に対しては傍観者であることしかできないと思います。なぜならこの問題に対して私は無力なのです。