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2020年6月20日土曜日

ナンパの話

かつては街の音を聴くのが好きだった。人の流れとか車の音、いちゃついてるカップルの女の子のかわいらしい声とカラスの鳴き声。飛んでいく鳩の羽ばたきの音。クラクションに驚いたり、遠くから聞こえる風船の割れる音で悲鳴を上げたり。子供の泣き声に心配をしても助けることができない自分にもどかしくなる。別の視点を探せば話したことのない誰かの生活のワンシーンを切り取っているような感じがして、音から人の営みを探すのが好きだった。

私が音を聞かなくなったのは二度目のナンパをされたときから。それ以降は町の音はまったく聞かないでナンパが来た時に無視をするためにいつも好きな声を聴くことに集中するようになった。

一度目はナンパとは言えない…制服を着て予備校へ向かっていた時に不潔感の極まるおじさんから急に声をかけられた。「お嬢さん、5万円で遊ばない?」と聞かれ、その時にこれがうわさに聞くナンパであろうと洗礼を受けたと思った。普通に嫌だなと思って苦笑いをしても離れてくれなくて、無視を決め込めば「お高く留まっているつもりなのか」と捨て台詞を吐かれて去っていくおじさん。その姿は知らない他人に対しての発言としては非常に申し訳ないのであるが、大変醜いものを感じた。
あの時ナンパだと思って無視をしたけど、よくよく考えると援助交際を求めていたのであろう。高校生によく聞くよなと今となっては思うところだけど、高校生だから声をかけられた案件だったのだと思う。5万でJKを買おうとするなんて安すぎないかと思うけど、世間的に5万ってどうなんだろう。そもそも売春自体が法律違反なんだけどさ。

二度目は大学生で、良くわからない茶髪のお兄さんから「お茶しようよ」と無限に声をかけられて「あはは……困ります…」と言いながら去ろうとするが、ずっとついてくるお兄さん。「一目ぼれしたんですって!」といわれても「ナンパってこれが常套句なのだろう」と思うと彼をどうやって突き放すべきか歩きながら思案するしかないのである。茶髪というそれだけで苦手なのについてこられて胃が悲鳴を上げ続ける。
こうしてつられる女の子がいてちょろいと思い、成功体験によって自分のような日陰者にも声をかけてきている(むしろ日陰者であるからこそ落としやすいと思われたのだろう)と考えを巡らせながら無視を決め込むがしつこく声をかけてきてついてくるお兄さん。結局無限にアイデアが浮かばず、結果として無視をし続けていたら「本当に最低!!!女のくせに!!!!」といわれて去っていった。もはや何もわからなかった。東京の駅はダンジョンのような作りであるので端から端までは結構な距離があるのだが、結局彼は入り口から出口までついてきた。あまりにもついてきたのでちょっと怖かった。

一度目から通報したほうが良かったのであるが、二度目で心が折れてしまったのでそれ以降はヘッドホンを装着して生活をすることが当たり前になった。今ではヘッドホンの音を聞いていないと不安なくらいにはヘッドホンがお守りの役割を果たしている。本当は音を聞くことでその町の特徴とか、今の姿とか感じられるのは幸せなのだと思うのだけど、自分にはもうそれをすることはできない。

三度目からは声をかけられてもヘッドホンがすべてを遮っているので何も聞こえない。いつも本当に苦しいタイミングでは大切な曲を聞きながら無視を決め込んでいるので、目の前の人の形相が悪くなっていく光景を大切な歌をバックに眺めるのは正直悲しい気持ちになる。でもヘッドホンがなければ自衛もできない。早く年をとらないとヘッドホン生活を抜け出すことができないのであろうと思うと、性別に対してとても悲しいものを感じる。年を食ってもナンパされてしまう人生じゃないと熱く信じながら………

ナンパは声をかけられるだけに過ぎない。声をかけられた側もかける側も双方に不快な気持ちが与えられるものであろう。ナンパで苦しいと思ってもやりたいと思っているのかもしれない。実はナンパをされる方が何のためにやっているのかわからないけれど、色々と想像をしてフォローをすれば出会いがない気持ちは社会人になってからひどく痛感する部分であるため、そういうことをしないとやっていけなくなる気持ちもわからなくもない。声をかけられることは正直何があるのかわからなくて恐怖であるが、彼らも出会いが欲しくて苦しいのかもしれない。ただ、声をかけられた側に捨て台詞を吐き捨てる必要はあるのかはわからない。自分にはその境地が想像もつかない。

まあ、ナンパ力を上げようとするくらいなら修養を励めよとは思う。