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2020年7月2日木曜日

泣くなはらちゃんが好きだったなと



もう好きなドラマも7年も前の話になってしまった…という感想。


ずっと前から「泣くな、はらちゃん」というドラマが好きです。死ぬほど偏見なあらすじを書くと、主人公の夢女子が好きな漫画(連載終了)の二次創作をしていたら、ガチ恋しているキャラが二次創作ノートから三次元に現れて恋をする話で滅茶苦茶好きなんですよね。この夢女子は幸薄なので日々の鬱憤を二次創作で発散しています。

(はらちゃん好きな人から怒られるぞ)

夢女子がガチ恋しているキャラ(はらちゃん)を演じるのはTOKIOの長瀬さんで、ご存知?の通りめちゃくちゃコミカルです。


夢女子は美人でいい感じにおっとりしてておしとやか(写真では女優さんが死ねってやってるけど;非常に越前さんらしい)なので職場のイケメンから好かれます。ただ、その職場のイケメンは職場の若くて綺麗な女の子(悪魔さん)に好意を抱かれています。ただ、イケメンがまるで眼中にない夢女子とイケメンと悪魔さんの三角は「職場」という壁で悪魔さんとイケメンがもだもだしている印象です。(後の人間関係はかなりのネタバレになるので伏せていく)


悪魔さんはマジでかわいかったし、めちゃくちゃ好きなんだよな…それこそ昔は「三次元上だと結ばれない感じがして辛みしかねえな?」と思いましたが、社会人になり職場の人に手を出さないよなぁと今となれば思うところです。本当に葛藤するよなぁ…
(職場の人への気持ちなど、社会性と自分の気持ちとの葛藤なので…)

三次元と二次元のつながりみたいなものが本当に良くて、本当に良かったのでもし興味がある人がいたら見てほしいレベルです。自分はドラマは本当に見ないんですがはらちゃんは全部リアルタイムで見ましたね…
(もし語れる人がいたら語りましょう。)



本当に薬師丸ひろ子さんの役柄が好きすぎて「ふおおおお」となったので見てほしい。自分は彼女の気持ちが痛いほどわかる。

追伸:在りし日の菅田将暉さん


2020年6月27日土曜日

本を勧める意味

私はある程度親しくなった人には自分の好きな本を教える傾向にある。おそらくある程度親しい人には本をダイレクトマーケティングのごとく渡したり、お勧めを教えたりしたと思う。それには色々と理由があり、一応自分なりのささやかな思いやりの中で生まれたものである。

お誕生日とかおめでたいとか何かにつけて本を送る。基本的に贈る人それぞれに本の内容を変えるようにしている。合う古典はそれぞれ違うと思うので。勿論親しくない人とか特に思い入れのない人には贈るつもりはないし、教えることもない。ブログなどには書いていることが多いけれど、その人に合わせた内容のおすすめはなく話すようになると思う。

こうして本を提示するのには理由がある。

私には同性の友人と異性の友人がいる。特に異性の友人の場合、今後その異性の友人に恋人ができたり、結婚したりすることがあると思うが、その時に僕がその友人の味方を表明することは難しい。基本的に恋人のできている異性の友人とは疎遠にするようにしている。その恋人さんに不用意なプレッシャーのようなものを与えたくないというのが理由である。

苦しいときに寄りそう役目はお相手の役割であり、恋人ではない私は完全な部外者として遠くから見守る以外のことはできない。それこそお相手さんに対して申し訳ないことをしているようであるし、浮気願望?不倫願望?みたいなあらぬ方向に発展しても困るし。

ただ、心に寄りそうができるのは相手ができればお相手の役割であると思うが、僕が今の地点で本をお勧めするのは二つあげられる。


  1. 本は裏切らない
  2. 言葉は心に残ってさえいれば本当に苦しいときに自分じゃなくてもその人に寄り添うことができる。

1の場合、人の性格はあいまいであり時が経てば変わり果てることが多いけれど、本は色あせないし恒久的に変わらない。人間の性格などといういびつで一緒になっても正体の見えないものよりも、本は変わらずに味方であり続けてくれる。私の今の性格はこうであるが、私が数年後にどんな性格をしているのか想像がつかない。人を傷つけて傲慢になりいびりちらしているかもしれないし、今のままかもしれない。もしかしたら自殺が成功して死んでいるかもしれないのである。それこそ三か月後すらわからないのに数年後なんていう遠い未来の自分や周りが良かれという状況であるとは言い難い。今の自分が好きな人たちに未来でも安定した味方がいるように古典をお勧めする。味方を与えたい意味で。

2の場合はこれは純粋な願いである。本当に苦しくて、味方が誰もいない状態になることが人生にはめぐってくることもある。そのタイミングでは恋人すらも味方ではないかもしれない。勿論そんなことはない方が幸せであると思う。ただ、そうしたときに誰も味方でなくても、古典の言葉は味方になってくれることが多い。一人じゃないとか、自分だけじゃないと思える本や言葉があれば、未来のその人が救われるかもしれないと思っている。僕はそういったときにその人の味方ではない可能性がある。理由は色々とあるだろう。その人が既婚者であれば色んなことを考慮して味方ではないだろうし…

ただ、今こうしてお勧めをしたりダイレクトマーケティングを行っている人は、今の自分の中では本当に好きな人しかいない。今の自分はその人たちの味方でありたい。だから人生で味方になってくれる言葉をそれこそ頭の片隅程度にあったらうれしいという期待値ゼロの状態でも渡す。好きな人たちが未来につらいときに、今の自分の意志だけは味方でありたいと思う。未来の自分はそうじゃないとしても。

以上である。理由はかなり単純だが色々と考えているつもりである。自分は恐らく誰とも一緒になることはないだろう。既婚者なら既婚者と出会ってもまだ大丈夫そう?に見えるけど、未婚が既婚者に会うとなると絶望的であるため、縁が切れる人は多いと思っている。この世界に自分を一番よかれと思うような人が存在しているわけでもないだろうし…

古典は言葉を与えてくれる。言葉は思考をさせてくれるツールである。人生で困難に遭遇することは多いけれど、考えることができたら、助けてほしいときの支えになったり、伝えることを行ったりするための手段を作ることができると思う。僕はずっと友人の味方ではいられないと未来を危惧している。だからこそ、今のこのタイミングで本を差し出して今の自分の気持ちだけでも未来でその人の味方でありたいと思う。未来の自分が仮に味方ではなくても、今の自分は本を勧める人の味方であるからその人を支えられるもので自分の最大限のものを差し出したい。その願いだけに尽きる。

2020年6月25日木曜日

人の葛藤は多種多様

この日記は今は心に余裕のない、某で出会った某さんに捧ぐ。内容自体に他意はない。

自分の良かれと思うことが他の人からしてみると等しく良かれと思える側面ばかりではない。自分からすれば良いと思えることでも、当事者は見えないところで苦労をしているケースは多い。

○○についての苦しみというのは無限にある。その苦しみは人それぞれ抱えていて、その立場にならなければわからない。故に僕は苦しみを理解をしていない前提でその人と話す。ただ、その立場ではないからと言って自分にとって良かれと思うことで、その人が葛藤していることで嫉妬するのはよろしくないように感じる。

例えば卒業した高校が工業高校→工学系だったので、よく人からは「工業系で女性なら男性が選り取り見取りなのでしょう?」と言われることが多い。その時「選り取り見取りと言いますが、自分が好意を抱く人が自分に対して興味がなく、興味のない人から嫌な好かれ方をする場合は幸せなのでしょうか?」と思う。そこにはその立場ではない人にはわからない葛藤がある。

(中学時代にサイバーセキュリティなら専門分野で食っていけそうだし独身でも一人で生きていけると思って志しただけであり、モテは考えていなかった)

「異性に囲まれればモテモテなのに?」

逆ハー(※逆ハーレムの略)であるならば幸せのように見えるかもしれない。現実問題として逆ハーだとして好きな人から好かれず、変な地雷男だけが寄ってくる場合は不幸な確率の方が高いだろう。世間一般的に女性より男性の方がパワーが上であるため、男性に好意で暴走をされると力では勝てない。故に恐怖の方が大きい。男性の中にいればモテるのでは?と考えてしまうとき、ここまで考えることは難しいとは思う。一方向で見たら幸せそうに見えることを全てだと思うことで、全体を把握したつもりになるのは違うように感じる。それは怠惰からくる傲慢な考えなのではないだろうか。(あくまで自戒として)

特に工業系の場合は女性が少ないがゆえに、男性の好意から「この人で妥協しておくか」というような諦めを感じるものを抱かれがちなのである。俗に言う「工業高校マジック」で(思春期に起きる不幸な勘違いが起きて女体が)モテただけに過ぎない。恋に恋している好意を、それを自覚してないがゆえに彼らは自己愛を押し付けてくる。ある意味、好意を抱かれたところで、自分に対してキープを見るような好意を与えてくる人が多い。

今の自分が今のまま工業高校時代に戻ったら、その恋に恋を押し付けてくる相手がいる事実が気持ち悪くて発狂することは間違いなしであろう。男性ばかりだから好いてくる相手は僕を僕として見ているわけではなく、僕ではない何かを見ている状態を感じながら学生生活を過ごすことははたして幸せなのであろうかと。そこから生まれる恋は不幸になるのではないかと思えてしまう。なんだかこのタイミングで好意を抱いてきた人とは対話ができそうにない。

この考えに至らず周りの異性がたくさんいて選り取り見取りだと言うのであれば、もう少し考え直したほうがいいと思う。付き合える許容値の人(理想でもなんでもいい)と付き合うのはかなわず、他に追いかけ回される生活がモテであるのであれば、モテたい人はその一瞬の虚無なモテを謳歌して現実を頭に叩きつけたほうがいい。

※工業系であった大学では大学2年の夏から教室の隅で講義を取り、人との関わりを友人以外無にしたため「モテなかった」ので非常に平穏な生活を送ることができた。わたしはそんな大学時代が1番好き。クラスに束縛されなかったし。そして、世界で1番尊敬しているA先生から「○○さんは口先だけでは見た目について好みだというけれど、対話ができる人が好みなんだねえ。対話ができる人と一緒になったら幸せになると思うよ」と言われて納得した。

「x年後に相手がいなかったら付き合ってください!」

工業高校時代から言われるんだけどこの発言から前提条件が「こいつとは絶対に付き合わんぞ」というわかりやすいものが漂うあれを感じる。私はおそらく神なのでこう宣言されるのだろう。こういうことでご利益があるのかもしれない。

上記の発言を人生で何度か言われていたが、これを言われて最初は「お前が僕のことをキープだと思うのは勝手だが、僕にだって選ぶ権利はあるのだぞ」と叱責をしていた。本当に好きならこんな遠い発言をしないので「ああ、この人は恋ができていないことに対して自分のような都合の良い媒介を作ることで、一種の現実逃避をしているのだろう」と初手で思う。事実としてそうした発言をしてくる人はすぐに相手を見つけて幸せそうになっていくのをみるし、内の1人は授かり婚で結婚した(実話)。僕は櫻井神社か。最近は若さが失われて反論をいうことすら諦めてしまい、ある時はもはや自分に対して笑うことしかできなくなっている。まあ、自分からはこうした発言は言わないようにしている。大変失礼なものなので。

ただ、周りから言われるのは「都合のいい人だと言われたとしても、そもそも好意を抱かれるということ自体がないので自分なら付き合うだろう。あなたの発言は結局は相手を選びすぎなのだ。」と言われる。いや待て、自分を自分として見る相手と付き合わなかったら、そもそもそうした関係などことごとく破壊されるのだし秒で破局するぞ。それは逆に双方に失礼な関係なのではないか?これをいうと発言を理解をしてくれる人と、お前それはモテるな?と煽ってくる人がいるのでとてもつらい。理解してくれる人はモテモテだったり大体相手がいたりする。

最近では「そんな関係性は学生で卒業しとけよ」というものを自慢してくる人もいるし、スペックを見られているだけで中身を見られていない関係をドヤドヤされることもある。対象から身体しか魅力を感じられてない人もいる。それこそ「モテる=数だけで見れば告白をされる」とか「モテる=チヤホヤされる」を真とする虚無がモテるだと思っていて、この人は学生時代には本当にモテたことがないんだなと思って悲しい気持ちになることもある。真にモテるとは好きな人から好かれることなんじゃないかなと僕は思えて仕方がない。

痩せ過ぎていることが不健康が故に不幸な人だっているし、顔がいいことで嫌な思いをしている人だって世の中で探せばたくさんいることだろう。一般的に素敵に見えることが必ずしも全てそうであると言い切ることが僕にはできない。人それぞれその立場ならではの葛藤を抱えて悩んでいることを忘れたくないと思う。そして、その悩みは自分も相手のことを理解ができず、相手も自分の悩みを理解できない。気持ちに寄り添うことはできるけれど。

2020年6月24日水曜日

凡人が行う選択と集中は視野を狭めるだけに過ぎない

異論は認める。

私は控えめに言って凡以下ですが、努力で凡のように見せることに努めています。そんな私ほど選択と集中の似合わない人間はいまだかつて出会ったことがないくらい色んなものに興味があり、色んなものに対して勉強やら趣味やらをしていると思っています(が、私以上に色んな事に首を突っ込んでいる人は沢山いることでしょう)。よくお世辞を伝えてくる人たちから「色んな事を知っているね」といわれることが多いです。それはわたしの興味がたくさんあるからだと思います。

私の興味は元々それほど広い範囲ではなく、好み自体は偏りのある人間です。ある時周りの人と会話をすることができない孤独感に苛まれて、色んな人の勧めを全力で挑戦して合う合わないを知ることで興味がどんどんと増えました。興味が増えたら色んな人の話が楽しくなったり、もっと聞いてみたいと思えるようになりました。特に最近では一人で放浪する(※余談1)際にその土地で出会うご老人の方々と会話をする機会が多いのですが、その時に会話についていけたり、そのご老人の会話の内容に関連する事柄を引き出したりしたときに心地よく話してもらうことが多く、その時に色んなことを吸収しようと思ってよかったと思うばかりです。

私は色んなものに手を出してそしてなぜこれが好きな人はこれが好きなのかとひたすらに考えます。そうすることがとても楽しいのです。わたしは人間は嫌いですが、人間が非常に大好きなので人がどうして興味を持ち、好きになるのかを知ることは好奇心を刺激してくるため本当に豊かな気持ちになることが多いです。

特に最近では「ああ、この人はこれで好きだと思ったのか(※余談2)」と理解することができた時にジャンルに手を出してよかったと感じます。基本的にその物事が好きな人がどうしてそれが好きなのかを理解できた時、自分も好きなものが増えた感覚がしてすごく幸せな気分になるのです。人の好きなものに触れて、その好きなものに対して考えることができるようになると好きを共有できるような感じがして、個人的にはとても楽しいのでお勧めします(?)

それをある時に人から「○○さん、色んなものに手を出しすぎなんだから選択と集中をしたらどうなんです?」といわれたことがあります。話を聞いてみれば「技術一辺倒になればいいのに」といってきてがっくり。何もかもに興味があるだけの私は彼からすれば広く浅くを地で行こうとする人間で気持ちが悪かったのかもしれないです。平たく彼の話を意訳すればこのような形でした。


  • セキュリティをしているのに歴史なんて無駄なのでは?
  • 古典を読むよりビジネス書を読んだ方がいいでしょ
  • 多く手を広げるほど人生は長くない。今から広げすぎるより狭めた方がいい


彼の美意識をとやかく否定するつもりはないですし、それで成功をされているのであればその通りに過ごせばいいと思います。ただその考えを人に押し付けてこなければ何でもいいですよ。それこそ私個人の性格として自分がやりたいことを今から始めないと年を取ったときに後悔するような気がしています。そう思うか否かは多分人それぞれですし、選択と集中により○○を極めたい人もいると思うのでその考え方が間違っているとは言いません。もしかしたら私が夭折するかもしれませんし、その場合は選択と集中を行っていなかったために何も功績をあげずに死ぬ自分を悔やむかもしれないです。その時はその時です。

個人的に、選択と集中を行うと視野が狭くなるだけに過ぎないと考えています。それこそ○○に対して天賦の才をお持ちであるのなら選択と集中で特化させればいいと思います。しかし私も含めて大体の人間は凡でしかない。

個人の見解ですが凡は選択と集中をして視野を狭くすると考え方が凝り固めやすいのではないかと危惧しています。柔軟性に富むためには色んなことを(もちろん自分が目をそむけたくなることも含めて)知って、多様な物事に対して考えらえるようにするのが戦略としては良いのではないかと思っています。知識は広く持っておくとその物事と遭遇したときに取っかかりやすくなると思うのです。

勿論、選択と集中は今後の未来から見ればもしかしたら正しくて、こうした私の考えが間違っている可能性を秘めていることは否めません。ただ、私は色んなことを知りたいし、色んなことを選択肢として残しておきたいと思います。知るというそれだけでそれを知っているほかの人との会話をすることができるのであるから、それだけでも教養として良かれという部分は大きいですし……




このツイートはかなり自分の思っていたことが言語化されていて非常に好きです。

「選択と集中」と株主総会で発する優れた経営者は魅力的に映るのかもしれないですが、こうして言葉を書いている私も含め大体は凡人でしかないのです。私は広く浅くでいいので教養を増やして人生を豊かにしたいです。

正直に何かで功績をあげることを人生の目的にはしていません。物事を知るために知る手段に成りえる何かに首を突っ込みたくなることはありますが、目的はそれだけなのです。知りたいという欲求を満たすために行動をします。知りたいと思うと周辺知識も得ようと努めるようになるので教養も深まることが多いです。個人的な見解として教養は視野を広げると思うので持っていて損はないと考えます。

余談

余談1:私が出没する場所は大体史跡が多いので、史跡へ行くと若い人よりもお年を召した方の方が多い印象を受けています。勿論若い人もいるのですが、割合としてはそれほど多い印象を受けません。私は史跡を一人で見ていることが多いため、非常に声をかけやすいのか色んな面白い話をしていただくことが多いです。特に話していると郷土史関係を聞くことができるのですが、全国津々浦々の戦国武将の知識を叩き込んでいたことがこれほどまでに役に立つ日が来るとはと感動している次第です。戦国武将が思いつかなければ幕末か江戸時代の話をとりあえず思い出しながらその人の地元の話をすることが多いです。

余談2:例えば「どうびじゅ(どうして私が美術科に!?の略語)」を死ぬ気で推しているSecHack365の思索のオタクの熱が余りにも凄くて、どうびじゅに手を出したことがあります。そして「なるほど…主人公のまっすぐさと周りの人たちのやり取り、そして一番は工業系の人間に刺さる内容…これはハマるのも無理はない」と思ったときに感動したのですわ。

2020年6月23日火曜日

満足いくくらいオタ活をしきったので卒業

「あーやり切った!やり切ったよ!」

キャラ推しのオタ活を全力疾走で駆け抜けました。今の心境は満足です。ようやくゴールに来たような気待ちです。今ついにワシの穏やかに推し続けているコアなキャラ以外以外は卒業だなと。わかりやすい例で言えば冬馬くんと曹操様とアムロ・レイくらいかな。

ゲームのオタ活をやり切った達成感がすごくて満足したので、これを機にほぼほぼ足を引きます。健康的な課金額だったので、無理もなければ借金などは特にないです。とても満足いくくらい課金しました。

「ここまでやり切ったのだからもういいだろ」!と思えるくらいにオタ活をさせて頂いたので、別のところで別のオタ活をします。オタクはジャンルが広いのです。それこそ元の守備範囲の歴史研究とか無限にしたいし…

キャラ厨だったのでソシャゲも好きだったのですが、達成感に包まれたと同時にソシャゲへの愛も醒めたのでした。ソシャゲの卒業はメインだとグラブルとかかな。

実は沖縄回以前の精神を破壊した際にあつめていたグッズはすべて処分していて、一応まだSideMはモバだけやってるけど、ステくんは手を引いています。SideM以外は手を引いたのです(`・ω・´)

じわじわと足を引いていて、完全に沼から足を洗った状態になっています。人が満足というか飽きる時ってこんな感じなんだなと痛感している次第です。

SideMのコラボカフェなどは依然として参加するつもりではありますが、リアルイベくらいになるかもしれません。わたしはグッズをほぼ集めなくなると思います。

冬馬くんのグッズも縮小気味でしたが、服関係もそろそろJupiterの服がボロボロになったら捨てるようにします。衣替えみたいな。カバン類も少しずつオシャンに変えていこうと思う。いつも使ってるサンリオコラボのカバンはいい感じに大きな鞄が見つかるまで現役にしますけど…。時計は気に入ってるからずっと使いますよ。Jupiterの財布はボロボロなのでそろそろ買い替えそうだけど…。

今後はアニメ・ゲームのシナリオ厨として生きていきます。オタ活好きなのでオススメの漫画は読むぞい。後は…最近本に課金していてオタクグッズはほぼ買ってませんでしたが、今までのこのムーブをやめたので投資あたりにも金をかけていこうと思います。オタ活をしていた頃から貯金はしているのですが、ようやく投資に本気を出して行こうかなとは。ゆるふわ投資でちょっと資産は某騒ぎで増えたけどさぁ…トライアンドエラーをしたいってワキャキャする!

続く