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2020年5月31日日曜日

好きな人間に自信がないことに対して

私は人として好きな人間がTwitterにいて、その人のつぶやきを見るととても嬉しい気持ちになり、それから少し幸せな気持ちになる人がいます。言葉の思慮の深さと言いますか、彼のすごく考えて生まれたであろう葛藤からくる表現に私の美意識の中では非常に美しいと思うところが多いのです。本当に素敵だと思い、こころから慕っているといっても過言ではないでしょう。

ただ、その彼が何につけても自信がなさそうな状態であることに対して、私はすごくもどかしい気持ちになります。

私はその人自体に何か立派なものを求めているわけではなく、その人の言葉、その人が如何に葛藤したのかがわかるつぶやきに対して、敬意と好意を抱いています。その気持ちは彼が追い詰められているときからそうであると思うのですが、彼が何をつぶやいていたとしても自分の中では彼の言葉がとても素敵だと思うため、彼が何かと「自分には何もない」と言葉を出すことで自分は見ていて苦しい気持ちになります。

好きなものを好きな対象が否定しているときは、ファンとしては言葉にできないくらいいたたまれない状態になるようです。

素敵だと思う人が自分からすれば素敵だと思う部分に対して、劣等感を抱いている状態にひどく悲しい気持ちであることがわかりました。何に対して苦しんでいるのか、何に対して辛くなっているのか私にはわからないところが多いかもしれないです。ただ、どうしてもその人の劣等感に対して(おそらく自分が劣等感の塊であるからこそ、ではあると思うのですが)あなたはあなたのままで魅力的であるのに、どうしてそんなに苦しそうにしているのですかと言いたくなってしまいました。

ただ、自分も劣等感の塊であるからこそ、その劣等感で苦しんでいる様に対して声をかけることで解決するわけではないこともわかっています。劣等感とは自分の中でしか解決することができないし、その劣等感に対して向き合って乗り越えられるのもまたその人しかできない。私はその劣等感とそれに付随したネガティブな思考に対しての問題とぶつかっているからこそ、その人に対してその劣等感に対しては傍観者であることしかできないと思います。なぜならこの問題に対して私は無力なのです。

おデートスポットの話

大学時代から景色のいいスポットっていいよねと思っています。

元々関東出身なので(残念ながら連れて行く相手はいませんが)東京にはセンスの良いおデートスポットの候補を持っていて、おデートをする際はその中から相手の行きたいところを選ばせるようにしています。

(なお、開拓した際に参考にしたのは滅茶苦茶センスの良いInstagramのおじさんのおすすめスポットです。半分は私のセンスではない。)

関東でおすすめのおデートスポットでいうと結構そうした人がいないところがあるのですが、関西ではセンスのあるスポットを発掘してません。そういうスポットを増やしたいとは思うんですが、いかんせん一年目は某で休日開拓に行けず、二年目はコロナで開拓できていません。

関西だと強いて言うなら大阪城公園かな…お金を払えば大阪城の西の丸公園とか良いです。あそこは野鳥の会のご老人が多いけど…(趣味が老人のそれ)

関東民に勧めるおデートスポット一覧


昨年の暮れから今年の初めのタイミングでお台場の橋からスマホを落としているので、データがないものがあるため、写真データがない時はInstagramの投稿で補完してます。しばらく関東に帰ることができていない……

レインボーブリッジ


品川駅からバスが出ているので100円課金して乗りましょう。そして品川側から渡るんや。

歩ききってある時出てくるでーーんみたいな景色が良い。

閲覧者のおデートする方が歩くのに対して苦ではないのであれば、是非ともここは歩かせましょう💪

お台場行きたくなった時やコミケ終わりにお台場から品川に行く時とかここを歩きますわね…

レインボーブリッジ側からの東京大パノラマが見えます。とりあえず私は友人複数人を連れて行ったのですが、とても反応が良かった。

大学4年の当時、ここで一人で景色を見ながら写真付きで妄想を呟いたら、当時好きだった人から反応されて嬉しい!ってなった記憶があるな…(遠い目)

浜離宮恩賜庭園



人も少ないし、落ち着いているし、本当に素敵すぎるところです。野鳥もたくさんいるし野鳥を眺めるために行くのもよいかもしれない。

史跡としてもよくて、色々とみるところがたくさんあります。ただ、浜離宮自体は周りに何もないので、基本的に食事は食べてから行く方が良いと思います。

浜松町に芝離宮というところもあるのですが、そこもよいと思います。クリスマスに行ったときに野鳥の会のご老人しかいなかったぞ………

晴海埠頭



写真じゃよさが伝わらねえ…

晴海埠頭はTwitterでのバズを見ているので、今後増えたら嫌だとか思いつつ(ひどい)、ここはマジで人がいませんが景色は本当に綺麗です。海から東京を一望できるのですが交通の便が最悪すぎるため、クリスマスシーズンに訪れた際は2人しかいませんでした(実話)

予め東京駅で食事を済ませてから、飲み物を買っておきましょう。

ここも基本的にぼっちで行くことが多いのですが、たまにいるカップルとカメラマンが多いスポットだと思います。


世界貿易センタービル




個人的な夜景スポットでここを推します。好きです。

ここは課金して入る必要があるため、それほど人が多いわけではないのがみそです。

すごく夜景がきれいです。東京タワーやスカイツリーと比べると高さ的な意味合いでの見劣りがする部分はもちろん存在しているのですが、東京タワーと夜景の入ったところはきれいで好きです。

夜景好きなので、夜景かつ人の少ないところorコスパの良いところを探しがち……

コスパという観点で東京都庁もお勧めです。


無限に行きたくなるな…(´・ω・`)

門前仲町と隅田川




これは隅田川。

門仲はただのワシの推しの聖地なんですが、レトロな下町って感じで本当に良いのです。あとメトロしか門仲ルートをカバーしてないので、それほど人がいません。

クリスマス付近にぼっちで行きましたが、人がいませんでした。あ、可哀想な陰キャやな…

聖地の空気を吸うのは生きてるって感じで好きなんですよね。

門仲が飽きたわねってなればとりあえずスカイツリーを目指して歩くと最短ルートだと1時間20分かけて5.2キロで着きます。センスの良いところをふらつき隅田川経由にすると2時間くらい歩くかもですわね。わたしとか無限に歩きがちですが、歩くのは良いぞー。勧めておいてあれですがスカイツリーはそんなに好きじゃないけど…

五反田→大崎近郊の目黒川(冬季or春)




ここは桜が綺麗なスポットなのですが、冬季のイルミネーションのタイミングだとイルミネーションが綺麗です。

確かメトロとJRが通っていて交通の便は良いのに人が少ない。

イルミネーションは綺麗ですが、カップルがそれほどいないので戦場のようなイルミネーションを相手に連れて行かなくて済むと言う意味合いでお勧めです。あと夜桜でも戦争にならないし。

とりあえず適当に歩くのに良いです。

みなとみらいの臨海パーク近郊



これは近郊で撮った写真。その後知らん人から一眼で写真を撮ってくれと言われて撮ったのに、写真データを送ってとも言われず困惑した。なんだったんやアレ…

写真はないのですが夜景が綺麗(夜景が綺麗)

基本的にこういうスポットはぼっちで行きますが、無限にぼーっとできます。

人はランドマーク近郊より少なくて比較的落ち着いています。横浜自体が東京と比べると落ち着いているところではありますが。

大桟橋




写真センスがなさ過ぎて魅力がわからんな……

比較的人の少ない、みなとみらいを一望できるスポットです。基本的にここはみなとみらいから歩いていくと良いと思います。(歩くのが好きなので、選択肢が歩く以外持っていない。)

実は一度、大桟橋から有料席で花火大会に参加したことがあるのですが、行く相手がいなくて一人で見た記憶があります。親から独り身なのにボックス席のチケット貰ったねん。普通にカップルに囲まれながらボックス二人席で見ていたのですが、今考えるととても可哀そうだな。

番外編


これはそれほどお勧めしないけど好きなところです。とりあえず山。

大山




大山はいいぞ~~~~(神奈川の中央にある山)

久しぶりに行きたくなっている山の一つです。交通の便があれなので、実家に帰省した時にホテル取っていこうかな……(多分早めに行けば帰れなくもないとは思う)

ここは豆腐がおいしいです。豆腐は湯がいて塩で食べるのがいいんやねってことを伝えてくれた山ですわね。基本的に自然が好きなので山も好きなので、山の話が多くなってしまうry

筑波山



景色がものすごく良かった気がする。

おわり\(^o^)/オワタ

さて、こんなところですが、趣味の土地にはご老人が多く、わしのセンスはご老人なのであろうかと若干心配になるチョイスですが、人を連れていくと良いと思います。私はもうあきらめているので、他の人たちは行ってほしい……

おすすめということもあり自分の好きなスポットなので、もしかしたらたまに私とエンカウントするかもしれないですが、気づかなかったふりをするので安心してください(?)

2020年5月30日土曜日

SecHack365に参加した(お気持ち表明文)

10月回しかそれっぽいトレーニーをしていません。それ以外は飛ばしていただいた方が時間の節約に繋がります。

-序文-


思索駆動コースはいいぞというけれど、思索駆動コースについてふんわりとしていて申し込みにくさがあるっちゃあります。問題は小論文でそれこそ書けば済むだろうけど、何をしているのだろうと。特にTwitterなどを見ていると思索駆動コースの人の独特な感じと言いますか、個性的なことはわかるけど実際なんだろうと思うこともある。

どんな集団なのかわからないと思うので、なんとなく書かなければならない気がしたので、少しだけ思索駆動コースについて書こうと思います。

まだ自分のSecHack365自体が最終成果報告をしていないため気持ち的にはきりがついていないというか…なんだろうな…少しでも思索駆動コースに対して良かれと思っていただき、応募していただく一助になったら幸いです。

僕はあの一年、いつでも仲間に嫉妬し続けていました。醜い話ですが。

【思索駆動コースの人間への嫉妬心とその中で葛藤した軌跡】

手記と日記とメモを全部ひっくり返してぐつぐつ煮詰めました。こんなSecHack365の感想は初めて!みたいな文章になってきたぞ?!(なんやこれ……)

-申し込み当初-


実はSecHack365に申し込むのは三度目で、申し込み段階で「1年目で申し込んでこれで仮に通ってしまったらどうしよう」と考えていました。入社一年目ですのでがっつり研修期間とぶつかっていて、参加は無理なのではないかと思っていました。しかし、主に部署がその点に対してかなり寛大であったため、入社前に申し込むことを相談したときに部長から「いいよー」とOKをしてもらいました。申し込み段階では心配でしたが8月回以降は部署からサポートしていただけることになったため、会社との相談はとても大切です。通ったときに色んな先輩方から「おめでとう!」って言ってもらいすごくうれしかったです。

私は先ほどから滅茶苦茶プッシュしている思索駆動コースを申し込みました。理由は考えることがすごく好きなので、考えることを強化できそうなコースに行ってみたかったということと、コースマスターのK先生の言葉を聞いたときに「この人から教えをこうことができるのはSecHack365生の特権だなぁ…」と思い、何度も落ちています。何度も落ちているのですが、落ちてもなんだかんだ諦めないで申し込んでいたらたまたま通りました(重要)。

後は1期生の男の子Tくんから「いつ通るかわからんのだから今年申し込んでいこうぜ!」と背中を押してもらっていなかったら、SecHack365の2019年度の代に申し込むことはなかったと思います。研修とがっつりぶつかっていたので会社を優先したことでしょう…申し込み時は本当に修了生の方の存在も大きかったです。

これは2度落ちて3度目で通った人間の戯言ですが、落ちても再度申し込んでみると通ることもあります。2度も落ちたのは普通にきつかったけど、3度目で通ったときの嬉しさがひとしおです。申し込んで落ちたとしても、申し込んでみるといいかもしれないです。落ちる辛さはすごく良くわかる。ただ、申し込んだという経験をすることで成長できることもあります…

電話が来た時、GWの途中(おそらく5/2-3あたり)だった記憶があります。ちょうど一眼レフを片手に天ヶ瀬冬馬君のぬいぐるみともに弥生時代の史跡を見に行っている途中だったのですが、電話がかかってきて頭が真っ白になって逆に「なぜこんな大切な連絡が来ているタイミングで史跡にいるんだ」と思いました。

以降関係各所へ根回しの行脚をしたり、親と友達と顔本に報告したりしたため、考えがほとんどSecHack365に取られてしまい、弥生時代の史跡の記憶が無です。交通費も結構かかったし、1000円で史跡の中に入ったんだけどなぁ…



このツイートは思索駆動らしさが前面に出ています。私は中二病なので、こういった表現が大好きなので、こんなコースでやってみたいと思いますわね…

-5月回-


通ってから夢を見ているのかと思いました。だって二度も落ちてるのですもの。その頃はたしか、大学後半から社会人にかけて「よく考えることのできる人間」と自分の唯一持っているものをほめられ、それはそれはお山の大将でした。わたしは思索駆動コースに行くときに自分の唯一持っている考える力を鍛えられるのではないかと始まる前はわくわくしていました。本当に井の中の蛙大海を知らずという言葉があの時の私にはぴったりでしょうか。

考える力で何かできないかとわくわくしていたのです。

しかし、神奈川回で思索駆動コースの「宗教染みた」と他のコースから表現される、儀式的なそれに行ってみればその力は限りなく弱いことを痛感し、二日目で恥をさらして死ぬかと思いました。

鬼畜の思索小屋。毎度恒例になる。


思索駆動コースの人の自己紹介を聞いて、表現の響きを含めて考えられる人のもので、それがそれがとてもじゃないけれど聞いていて苦しくなってきて、自分は何も考えられない人間なのにこんなところにいるのかと発狂する所でした。自分の思慮の浅さと人間性のなさにただただ絶望しそうになり、なぜここまで中身のない人間がここにいるのだと苦しくなるのです。

読書も一番尊敬している大学時代の恩師であるA先生からお勧めされたものはすべて手を出し、教養についてガンガン吸収するぞと努力していたつもりでしたが、圧倒的な読書量の少なさを一瞬にして感じ取れました。その時の恐ろしさたるやアイデンティティの喪失のような心境も含まって発狂寸前です。一瞬であの中で一番自分は空虚な人間である自覚をしました。得意がこの場では通用しない可能性があると実感すると一瞬にして焦るものです。

(そして実際に思索駆動の人と会話して読んだ本の量の多さに内心「人としても負けてるのに読書量も負けてるぞ」ってなって膝から崩れ落ちなかっただけ社会性を保った。この話は後々も騒ぐやつですが…)

5月回では絶対に出さないように努めましたが、「圧倒的な敗北」を感じたのです。人との勝ち負けなんてないんですよ。なんですけれど、純粋に彼らと話していて人間として負けた気持ちになり、深く深く焦りました。この焦り自体は7月以降に隠さずに表現することとなりますが、最初から焦りを持っていたことを隠すことで穏やかではない心境と、これからやっていけるのかという不安が色濃く出たのが私の5月回です。まだ諸般の事情が色濃くなかったため、それを隠すだけの余裕があったのです。

そう言っても神奈川回の帰りの新幹線で以下のような手記を書いています。

会社名であれこれ言われることに疲れてしまった。私は私ではないのか。
給料も平均で、能力はそれこそ凡であるから、彼らと一緒にいて劣等感がすごい。
「私は人と話すごとに自信を失っていく」と、思索の人が言っていた気持ちもわかる。
(中略)恥をかかないことを考えて行動したかったのに、ミスばかり。申し訳ない気持ちになる。
私はSecHack365で確かにいろんな凄い人が多く、自分の意義について考えていたが、それだけ刺激があったのだ。酒を飲んだら思考が減り、いらん心配が消えた。ああ、これ、結構必要かもしれない。

こう書いた後に、計画を立てました。1年間何を得るかのステ振りの配分次第では無意味になってしまうことがわかるため、無意味にさせないためのステ振り方法を模索しようと決意したのです。

  1. 思索駆動の人間がお勧めしてる本はとりあえず制覇する(ここが一番苦しいため)
  2. 思索駆動の人の考え方をとりあえず聞いていくことで良いところを盗む
  3. とりあえずオンラインゼミは参加できるものは全て参加する(考え方を盗むために)
  4. 同世代のトップ集団に後ろの方でついていけたらそれで御の字(背伸びしない)
  5. 技術(伸びなくても良いが、今後のエンジニアとしての目標を決める)

「お前は本気でSecHack365に参加するつもりなのか?」と言われそうですが、こうしたイベントでの私の戦略はセキュリティキャンプの頃からもそうなんですが「確実に技術は短期間では盗めないので、軸になり得る考え方を盗む」です。考え方を盗めれば伸び代が増えるので、自分の持っていない技術を無理に習得するよりもコスパがいいんですよね…

そのタイミングでのSNSでのわたしの言葉は「この一年、とりあえず生きねば」です。

続かなかったときに落ちこぼれ感がすごいらしい

このメモは神奈川回でほーんと聞いていた習慣化の話ですが、割と本気でこの言葉は真になりじわじわとジャブをくらい続けるはめになるので気をつけような(!)

-6月回-


この当時は諸般の事情で自殺を真剣に検討していた頃です。6月回で何も持っていけないまま飛行機に飛び乗りました。心の余裕は消え失せDEAD OR ALIVEと称するのがふさわしいくらいには追い詰められていましたが、一年は平等に過ぎ去っていきます。あの時は本当に関わりのある人たち全員のおかげで今があるレベル……特にK先生と思索の先輩社会人のIちゃんはありがてえ…ありがてえ…って今も思っています。

思索駆動のオンラインゼミを受けるのもやっとで、色んな物事をオンラインゼミで聞かせたくなくて、毎回カラオケを探したり何度もホテルに泊まったりと、死ぬほど必要経費の出る量が激しくて、今よりも金遣いが荒かったですね。一応その当時も今も借金はないんですが、貯金は切り崩されて行きました…
(オンラインゼミでさらっとセキュリティ時事のことを学ぶことができました)

オンラインゼミの感想がちらっと書いていたので引用すると「意見の説得力がちがう」でした。そして、「仕事とSecHack365との両立が厳しい。あと家がやばい。どうしよう」と書いていて未来の僕は泣いています。あの当時のやり取りが以下なのですが、なんというか、焦りが見えて辛い……

わたし「なぜ思索の人たちは資料がここまで密度の濃いものが多いんですか」
先生「かけた時間じゃないかな」

それはそうなんだよなぁ…正直あの時は6月回は行けるかどうかも危うかったです。資料作成ってどうやってやるんだと焦り散らしていました。悲しいかな、他者が見て参考にできそうなSecHack365の記憶が6月は本当に無です……
(総じて無の間違いでは???)


こんなところにいたらしい。岸信介って有名よね。

(ただここには記しませんがメモを見る限り、思索駆動コースの人たちに対しての並々ならぬ嫉妬心が自分を襲っていることが垣間見えます。)

そうだ、思索駆動コースといえばの紹介をしておきます。



このタイミングで確か1on1が始まっている気がします。あの時は生きるのが精一杯で記憶がほとんどないのですが、なんかやっていた気がする。このタイミングでK先生が「人は一人でいることは良くない」といっていて、執筆時の私にはこの言葉が染みる………

直るのは、複合的な理由があって直るから、直そうと思うというのは全然違う

こんなメモ書きが残っていましたが状況がまるで分からない。だけど何に対しても言える話だと思う。このメモを取ったタイミングでは何があったんだろう。正直に申すと、昨年って思い出そうと思えば思い出せるんですけど、10月以前の記憶を意図的に消しているので何もわからないですね………

-8月回-


ある程度平穏に戻りましたので、思索の中にいる死ぬほど本を読んでいる人から制作物のために本のおすすめを聞いた時期だと思います。聞いた本は何冊かいまだに積んでるけどその節は助かりました、本当にありがとう。

このタイミングであるキラキラしているある同期に助けてと泣きつきました(意訳:専門の違う同期にLINEでいろいろと質問していた。)。彼に出会うタイミングがなさ過ぎてあれなんだけど、菓子折りを送り付けるか、もしくは食事をおごりたいレベルだよ……

帰ることができない事情もありましたがお盆休みは全部SecHack365で溶けました。オモシロイネー(CV.某tel先生)

中間報告の時に何を報告すればいいのかわからなくて、とりあえず無限にアイデアを出すことに決めた私はアイデアを考えていろいろとまとめました。アイデアだけを出していこうと思ったのは、まだ悩んでいたのもそうなんですが中間報告時のテーマが決まったのが確か8月回の直近で、動くには遅すぎたことも挙げられます。

このお盆の時期はオンラインゼミが結構な頻度で起きていて、そのたびに皆さんのプレゼンを聞き続けていたのですが、そのプレゼンを聞くたびに皆さんの考えている姿とか、取り組みの姿勢が余りにもひたむきに感じられ、純粋にリスペクトしていました。この頃になると嫉妬心が少し消えています。ただただ、理想のために葛藤し続け、道を修正していく姿は格好いい………

確か8月の行く前に決まったであろう発表の順序が旧姓であったため思索駆動の大トリ状態になってしまい、「マジかよ…思索の世界観の凄まじいものを見た最後に僕の発表かよ…」とつらいものを感じていました。

私はオンラインゼミで彼らがいかに葛藤し、努力しているかを知っていました。だからこそ彼らが発表した後に自分が発表することに対しての恐怖が凄かったのです。よく人から「いつもあなたは悩んでいるよね」と言われますが、それだけ自分に納得がいっていないのです。他者への嫉妬心が深くて深くてそれで自分は理想と違う状態で、それがたまらなく嫌なんですけどね。

あの時は彼らの世界観に敵わないと考えてしまって、どうしても私はこの場にいていいのかと悩んでいました。彼らの思索は人生の大切な部分を深堀して、そこをどんどんと深く掘り下げたうえでこれをやるとはっきりと決めている、本当に本当に面白い思索だったのです。あのタイミングで軸を感じました。私は人間として虚無で何も持っていないのであろうと感じると、どうしてもこのタイミングでの発表で恥をさらす以外がなくて、怖くて震えていました。

その時からでしょうか、その前からでしょうか。「自分は他者とは違い何もできない」と痛感し始めていました。周りは技術が凄い人、技術も考え方もすごい人、考え方が本当に尊敬できる人…と思うのに、自分は何も持っていない。考えも中途半端であれば、技術はできない、無力感と絶望感に打ちひしがれるとはこういうことかと悩みぬいていました。様々な方法を模索して壁にぶつかりながらちぎっては投げ続けています。

発表の時には覚悟を決めていて、そうした考えなどを切り捨てて頭を空っぽにしました。そうしたら、それこそ練習よりはかなりマシな言葉を言えるようになっていて、「よかった、よかった」と安心しました。
(発表時に思索組から何かいつもと違うものが降ってきたのかというコメントされていたのを笑った記憶がある)

終わった後には魂が抜けていき、もう本当に終わったなぁとホッとして、ただ今のままではいけないと思い改善点を知ろうといろんな人と話にいきました。アレは本当にコミュ力が欲しいなぁ…と感じる次第でしたわね。その時に今後ハニーポットの仲間になる子と話すようになります。

学習駆動のトレーナーのIさんから「君のやりたいこと本当に面白いよ!いいねいいね」と言われて、この発表でも興味を持ってくれる人がいてうれしいと涙が出そうになりました。本当に……

かの有名な金印の見つかった島

海はよかった。海はいいぞ。ぼっちではしゃいじゃうわね。

そんな感じでしたがオフライン回の最後の最後にとても嫌なことがありました。嫌なことは本当に嫌なことですが共有はしません。その嫌なことで呆然としてしまってそれからしばらく何も考えられず、それ以降オフライン回が恐怖になることとなります。それまでは恐怖というよりはオフライン回がくるなぁ…と思っていただけだったので…

このあたりからkmpさんにお世話になることが多くて感謝しかないです!!!kmpさんすきです!!!!!いつもありがとうございます!!!!!

-10月回-


今だから言いますが、8月回の発表時に開発駆動コースの人々と一番は思索駆動の最年少のTくんが物理的なものを作っていた姿を見て、あまりの説得力に衝撃を受けました。

成果物は見えなきゃ説得力がない。

これがSecHack365のあり方なのかと。そして、その衝撃に気付いたわたしはオンラインのタイミングでTくんのレポートや発表資料を読みまして、色々と考えた結果、仙台には絶対にできてなくてもイメージの伝わるモノを持っていくと決意しました。
(ようやくそこから私にもSecHack365のトレーニーらしさが出てきました。)

苦手でたまらないハードウェアに手を出して、やったことのほとんどないはんだ付けをやってました。はんだ付けは慣れなすぎて1ヶ月もかけました。同期の鹿🦌くんに相談したらいいハンダゴテを教えてもらえたので、それを使ったらハンダゴテを使う速度が早くなりました。あの時は同期のお陰でギリギリ逃げないで済んだのです…。

色々とノートに考えを出したり、実際にプロトタイプを複数作ったりしていました。また、2週間に一度は日本橋(大阪にある関東でいうところの秋葉原)へ行っていました。部品を買いに。

思索していた際のノートの一部(モザイク処理済み)

手元にあるけどプロトタイプは見せないからな…

そうして仙台回です。ボロボロなプロトタイプを提げて、適当な袋に防備もなく詰めて行きました。(これは盛大なフラグで成果物が壊れたのを思い出しながら)

このタイミングでもどうすれば技術がわからない人に対して対応できるんだろうと悩んでいます。でもなんもわからんけど手を動かした達成感はありました。図画工作かな?って感じでしたけれど…

ただ、10月回では誰にも嫉妬していません。強いて言うなら今までサボっていた自分に嘆いています。おそらく健康的な精神で取り組めていた唯一のSecHack365の期間です。

この頃には思索の人たち全員に尊敬と嫉妬心と好意を抱いています(気持ち悪い告白)

このタイミングからTomioさんからの様々な有益なアドバイスをいただくようになりました。本当にありがたや…(共通のことを課題に感じているような話をしていました。)

青葉城跡地。かの有名な像と夜景。タクシーを使った…

関係ないですが、仙台の時は伊達政宗尽くしでした。楽しかった。

-12月回-


10月が終わってから12月回までにプロトタイプをさらに作っていこうと思い、1ヶ月くらい色々とそっち方面で勉強し続けていたんですが、何か11月の地点でしっくりきません。そのしっくりこないところを愛媛に行く前に、思索のトレーナーのKさんと相談して「あなたはわからないが軸なんだね」みたいな話をされて、確かに自分の軸はわからないことを解決することだしそうだなぁと思い、その方面に舵を切りました。今はその舵取りが一番なんかしっくりきています。

しっくりきたけど、周りはもう先に自分の軸にしっくりしているのだろうと思えたらすごく恥ずかしくなってしまって、だけどこの思いは私の方向性のようなものだから信じられました。今はようやく軸としてできるようになっているのですが、当時は結構ぶれそうになることが多かったですね。Kさんとのやり取りでようやく何とかなった節はありますけれど、愛媛前は誰からも理解されないんやというのが露骨になっていたかもですね…

魔のプレゼン………思い出しても帰りたい気持ちになる…………

愛媛回のアレ

忌まわしの愛媛回です。こんな嫉妬心しかないなんもできない人間でもマジできつかったよ…愛媛回。あの場にいることが本気で苦しくて、説明することもできなくて、完成度もごみだし何をしようと悩み続けて逃げ出したくなっていました。

そんな中、Tomioさんから「ああ、ようやく君のやりたいことが分かった!」と言っていただきました(これを言われたときに救われました……あの時は「Tomioさんと話すために愛媛に来たと思ったらよかったのでは?」と思えるレベルで救われました…実際そんなことを愛媛の時の手記に書いています。)

「工業高校の先生は採用の都合で情報工学を教えていてわかっていないで教えていることが多いから、先生の方がありがたいかもしれないね」と返されたとき、そうかこの自分自身で行っている人体実験の求める先は学生だけではないと考えてもよいのではないかと考えることになり、対象を狭める必要もないかと思いいろいろと検討していきます。そうか、先生かと考えると方向性は無限に広がりそうです。(1年目だし形になる前は広げてはいけない。)

私はプロセスのない説明なんて理解できないので、歴史のとき、単語と答えだけじゃ、何があったかわからないから、答えだけの説明なんていらない
自分らしいメモだな…と思い返しつつ、このタイミングで母校に行くことで原点回帰し自分の課題点を見に行こうと決意して、工業高校に連絡を取っていくことにしました。


追記:このタイミングで思索駆動コースの人たちの個性を浴びるほど受けたので、「自分の無個性さは一体…」となった記憶がある。あの異色で面白い思索駆動コースの中にいると没個性であることの自覚をせざるを得なかった…

-2月回-


結局工業高校には行きましたし、先生方の配慮のおかげで母校の一年生に教える機会をいただきました。意外と思い出を美化していたようで、forから詰まった印象を受けていましたが、現実としてはscanfからわからないものはわからないと気づかされました。そしてこの経験は沖縄回の時のネタになります。

12月回以降、自分に対して焦りました。12月なのに方向性がバラバラなふらふらでいたのです。それこそ生きる価値がわからないと思い始めました。そんな中、諸事情あってSecconへ行きました。色々とあって慌てていたら写真を撮っていただきSecHack365のフリー素材になりました。Secconの諸事情あって慌てた後、何人もの人から質問されたり、名刺交換したりして「アウトプットってすげーー!」ってなりましたわね…

自分はふらふらやっていましたが、そんな中でも思索駆動コースの人たちはどんどんと方向性のために努力をし続け形にしていっていました。自分だけあれもそれもやるぞみたいな「お前はマジで何を目指してるん・・・?」みたいな制作物を作ろうとしていました。

そんなあれな状態なのに、このタイミングで急に「せや、ハニポを構築して教材を作りたくない?」と思いたち、急にハニポのためにサーバを借りてから構築して運用し始めました(これは今も続けています)。ハニポに金をかけるのはめちゃくちゃ楽しいです。ログを見てによによするのが楽しすぎる。

ハニポって運用してみて思ったのですが、かなり楽しいのは当たり前にそうなんですが、セキュリティ初心者が言葉を学ぶ時にやっていたら意味がわかって楽しくなりそう…なんですが、始めたのがだいぶ遅くてアクセス数が少なくて最後の最後まで教材がうまくいく気がしないため、2月回の発表では教材界のサグラダファミリアと名付けたハニポの教材ではありません。

謎webアプリ…

トレーナーからのアウトプットが「主語デカすぎ」から始まり、本当に言いたいことがわからんという感じで結構キツかった。でも、自分が努力不足なのはなんとなく感じる部分があり、手を動かしているけど成果を出していない地点でダメなんだよなという…(無能にはそこがきつかった)

ああ、お前の人生はあまりにも虚無だって書いていて思ったので、当時の思索の人たちへの印象も書いておきます。個人的に見た感じからして、思索の人たちは皆さん葛藤していました。2月に理想に近づくのか否かわからないけど、理想を見せることをやっていこうとする姿勢は大変仲間としてすごいと思うところでした。そして、その努力をしたからこそ生まれる葛藤具合がなんだか美しく感じてしまって、こんなにひたむきに自分の課題と向き合えるのはなんて素敵なんだろうかと尊敬の念を持っています。

世界観の構築はもうすでに彼らは完成度の高さがありましたが、さらに磨きがかかっていくのが素晴らしくて、思索の人たちに対してマジで敬意しかない………

そんな中私は前日まで「いわしさんは何をやりたいのかわからん」とトレーナー陣から言われ続けて、あの時は思索の人たちに理解されないという自分の中で1番の絶望状態になりましたわね。まあ、自業自得なんですけれど…思索の人に伝わらない話をしていたのは事実だった気がします。あの時、一番理解されたかったのは思索の人たちになんですけどね…

徹夜する予定が徹夜する体力がなくて寝て起きたらSecHack365の沖縄回になってしまい、発表で死ぬことを覚悟し絶望の淵に立ちながら沖縄の地を踏みしめました。

ここで「希望」の間って滅茶苦茶泣かせにかかってきています。

最後の発表を聞いている印象ですが「全員優秀修了生では??????」という感想しかなかったです。何人か「人智を超えている…」とか、「この発表の掴みがうまいな…」とか、「この技術楽しそう…」という人はなんとなく優秀修了生だと思っていました(予想は8割当たった)が、残りの2割の部分は多分本当はみんなが優秀修了生だったんだろうなって思うことが多いです。もちろん思索駆動コースの人も私以外の7人が全員優秀修了生でもおかしくないと思うレベルでしたね(金枠は6つしかないんですが……)

この場で発表しなきゃいけないの…?と真顔になり、耳が死にました(※実話)

徹夜で準備して次の日に発表のターンになった時、急に覚悟が決まりました。言葉で何かしなければならないと思って、伝えたい言葉を重きにおいて、全体を見渡して「わからないってだけでどうして馬鹿にする風潮があるんですか?」というスタンスから入り、謎の説明を行う。「わからないを深掘りしました。私はもはや何もわかりません、助けてください」ということを切々と語り続けました。

「わからないに寄り添う」は私がわからないからこそ分からない人と頑張りたいなという決意表明のような話でした。なぜ分からないは放置されるのだろう?と言い続けて、自分や高校の後輩のわからないことを列挙し、これを解決したいねということで発表。

冷静さを装うつもりが頭は真っ白のまま口先は回る。

ただ、あの場で質問をされたときにはいつも考えていた、本当に苦しかったこととか些細なことを答える状態で、実は思索駆動コースにならされていることに気づきました。結局私のやりたいことって自分が死ぬほど葛藤していることで、その葛藤をどうにか和らげる何かを作りたいとは思っています。修了して2か月とか3か月目ですけれど、未だにハニーポットから何かできないかって色んなあがきをしています。

そうして発表を終えた後、TwitterやSecHack365の専用SNSの中でみなさんがすごくわからないについて議論してくれていたのです。想像以上に盛り上がっていてありがたさをアピールするために五体投地を実施することを検討しました。ありがたい話です。あまりにもありがたくて全てスクショしました(謎の告白)

特にTomioさんの言葉、学習駆動のトレーナーのIさんの言葉は本当に個人的にはじわじわと来ました。お二方の発言、毎回心の支えでした………

発表が終了してからですが、みんな何かしらの「わからない」を抱えているのだと思うと、わからないを何か自分で表現した先に、私は誰かを助けることができるのではないかと考えられました。皆さん、立場や葛藤する部分は違えどわからないを抱えながら生きているのだろうと感じるものがありました。そうすると私の日々考え続けている葛藤も報われる気がします。私がこうして誰かを助けたいと思うのは、自分を助けたいこともそうなのですが、助けてもらっていた全ての恩人たちに対しての恩返しというか、コミュニティへの貢献をしたいという気持ちがあるのです。

それを沖縄回の発表後に痛感して、私のSecHack365の沖縄回の発表はまあ次第点と認めることとしました(自分に甘いので)。

そして、そのあとから思索駆動コースの芸術は爆発だ!(CV.岡本太郎)みたいな発表が7連発で、「思索の発表の一番最初でよかった~~~~~~~~~!!!!!!!!」と内心思っていました。何とは言わないけど、みんなすごいよね。

伝わらないので二言で表すと「世界観爆発、芸術かよ」みたいな発表です。それでは伝わらねえよ。延期された最終成果報告が無事にコロナで第二波なんてことにならなそう開催決定になったときに思索駆動コースの人たちの言葉は聞きに行くと良いと思います。あまりにも素敵すぎるのです。

沖縄の海

沖縄らしい投稿をしておきます。最後の最後に沖縄の海を見て「ほぼ監禁だったな…」って遠い目をしながら沖縄を感じました。斎場御嶽はTHE神聖な空気ですごかったです。そこで天ヶ瀬冬馬君のぬいぐるみをなくしました(完)

最終成果報告→延期。

誰のせいでもないです。どこかの国のせいでもないし、どこかの機関のせいでもないです、純粋にコロナ君だけが死すべし。


一応書いておきますと、こう苦しんでいますが修了しています。不安がらないで……

当初の目標は達成したの?

当初の目標は5月回のターンで書いた5つです。
  1. 思索駆動の人間がお勧めしてる本はとりあえず制覇する(ここが一番苦しいため)
  2. 思索駆動の人の考え方をとりあえず聞いていくことで良いところを盗む
  3. とりあえずオンラインゼミは参加できるものは全て参加する(考え方を盗むために)
  4. 同世代のトップ集団に後ろの方でついていけたらそれで御の字(背伸びしない)
  5. 技術(伸びなくても良いが、今後のエンジニアとしての目標を決める)
1に関しては70%くらいです。基本的に行っています。しかし積読が多いぞ………
2はできているかわかりません(40%くらいか)が、色んなものは盗むようにしました。
3は70%くらいです。たまに休みます。体調が悪いときですかね……
4は60%くらいです。ほぼ脱落寸前&できないことをやろうとしていたので。
5は今後の方向性がSecHack365に参加したことで定まったので100%です。

おおむねやりたいことをやろうとはできました。100%は1つしかないですけど…なので、個人的には参加してよかったと思っています。

今振り返ってみると


わたしってなんもしてないくせに嫉妬しかしてないやんか。

思索駆動の人たちは本当に考え方、価値観が素敵で全員に対しての憧れと嫉妬心があります。そして、その憧れと嫉妬心はずっと抱え続けていますが、そんな自分の不健康な気持ちはそのまま抱え続けている状態です。今も彼らから言葉をいただくと一歩引いた後に考えて、自分の愚かな部分だと認められれば修養し直すことがあります。

思索駆動の人たちの世界観を1年間近くにいることで学ぶことができて、本当に本当に充実していたと確信します。彼らのような私から見てとても素敵な人たちと出会えたのは、かなり幸運な部類です。

わたしみたいに思索駆動コースのモブを目指してSecHack365に応募してみると、異色の人たちとともに楽しい経験ができるかと思いますので、思索駆動コースに応募してみような!!!!!!!という話でした。ありがとうございました。

2020年5月29日金曜日

差別意識の発露

これは本当に自分自身が最低であるという自覚をしたとともに、それに恥じている次第ではあるが………

自分が無自覚でそれゆえに内在する差別意識が発露し、その結果として人を傷つけた事実を慮ると、どうしても自分の差別意識に対しての気持ち悪さがにじみ出て自己嫌悪でいっぱいになる。差別意識自体が無自覚であったことも一因ではあるが、自分が差別意識を持っている人間であることを自覚した瞬間の嫌悪感と罪悪感は筆舌しがたい。

自分自身が無自覚に差別心を持っていると考えると、自分自身が今まで無自覚に差別的な発言をしていたのではないかと考えられる。その途端にどれだけの人を自分は今まで傷つけたのだろうと思うと、その人たちの悲しさや憤りを思えば胸がつぶれる思いである。

そして、自分がその無自覚な差別的な言葉を表現することで、自分が差別意識を増長し、差別に加担していた事実を考えるとなんと卑しくて醜いものであろうか。指摘してくれた人の言葉がなかったらまだこの言葉を続けていたのであろうかと思うとゾッとする。

今、こうして自覚をしたことが自分にとっては幸いであった。未来に行わないようにして被害者を最小限にとどめることができたことはありがたいことである。こういった方向に持っていこうとできたのは、指摘をしてくれる人の存在があってこそである。恵まれているからこそ、こうして指摘してくれる人がいることを再度確認することができたので、これは心から感謝しかない。

おそらく、これまでもこれからも申し訳ないと言葉を出すが、この申し訳なさは許されたいわけではなく、精いっぱいの罪の自覚と懺悔であり、この差別意識そのものを当事者からは絶対に許されたくはない。許すという行為が一種の被害者側から出るあきらめのような、そういった被害を受けた側の慈愛から生まれるものであると思うので、そんな労力を自分なんかに割いてはほしくない。

罪の懺悔を許す行為は、それは非常にパワーを使うため、当事者の方にそんなことに力を使わせるより「この卑しい人間にはもうかかわらないでおこう」と空気を見るように思ってもらったほうが、その人の身になるのではないかとも感じる。差別を仕向けた人間へ関わろうと思うとそれは恐らくどうしようもない精神のすり減りと向き合わなければならないであろうし、自分自身にはその体力を相手に使わせるほどの人間性を持っているわけではない。

この問題の極めつけは、自分の無自覚に抱えている差別の目と向き合わなければならないと思い、そのためにも言葉を欲し、何らかの本を読もうと思っても結局そうしたときに参考になりそうな本が見当たらないことである。人間性のできていない自分が23歳にしてようやく差別意識と向き合ったことがないからか調べ方がわからなくて、読みたいと思える本が目の前にない。タイトルや表紙から煽り続ける最も求めていない本しか目の前に現れない。自分が如何にその点で怠惰を極めていたかとさらに自分に対しての愚かさを痛感する次第だった。

追伸:こうした無自覚な差別発言を行ってしまったことで自覚したことは、差別発言であるということ自体をそもそも認知していなかったという愚かな事実がある。そして、指摘されなければ差別意識がないとは恐ろしいことである。無知を言い訳にしたくないので学ぶつもりではあるが、無知に対する恐怖を感じる部分があった。

2020年5月27日水曜日

人生とは刹那的なのではないかと

100年は長いようで短い。人間が個人的な人生を歩む上で100年は長い。しかし、歴史で考えると100年はあっという間である。

ちょうど第一次世界大戦が100年近く前で、そのときにはまだ戦争の手段が馬も用いられていた。今や無人飛行…ドローンで敵地へ爆撃が可能な時代であるし、先日報道されたように通信を妨害してサイバー攻撃で嘘の情報を流して敵を殺すことだってできる。そう考えると100年で技術の進歩がめざましい。

それ以上に藤原道長の時代が1000年前と考えると、1000年前の人たちがまさかこんな文明になっていると想像がついていなかっただろうとも思う。藤原道長が京都で雅を追い求めていたり、京都の恋は顔が見えない相手との文通で決まっていたりする中、まさか1000年後には世界の顔の見えなくて知らない人とやりとりをして繋がっているとは思うまい。

1000年前から紙も電子媒体に置き換わり、物理的にあるのがないのかわからない状態になるなんて、想像がつくものだろうか。わたしが1000年前の人間だったとしてイメージはなかったと思う。

そう考えると、我々が3000年の時代に対して何もイメージがつかないことは当たり前ではあるけれど、更に凄まじい発展をしているのだと思うと、なんだかゾクゾクするものを感じるし、それを見ることが叶わないことは少しだけ寂しい。

時代の進歩を見ることができるのは、生きている人間の特権である。死んだ人間、過去の人間には生きているからこそ獲得できるその権利がなく叶わない。この未来を見る権利は過去の人間が喉から手を出すほど欲するものであると考える。未知であるがゆえに、未知に対しての好奇心がくすぐられるだろう。それを欲する人は過去も現在も多いと思う。でなければ、死を考える人がここまで世界に多いはずもない(主語がデカァイ!)。

未来を見る権利を有効活用するためにも修養し、考えながらその出来事に対して判断しながら見ることができたら、未来を欲していたが亡くなった人たちの分も(その人たちな言論を頭にインプットしながら)有用に覗くことができるのではないかと思う。それは未熟なわたしにはこれが本当であるかはわからないけれど。

そう色々と考えていると、人生とは刹那的なのではないかと思わせられるものであった。

2020年5月26日火曜日

名著といわれるものほど何故か悲劇が多い気がする

先日、ある人と名著はバドエンが多いという話をしていたわけであるが、名著は悲劇ばかりなのだろうかと思い返すと、読み終えた後にいろいろと考えさせらえる小説ほど悲劇が多かった。(バドエン:バッドエンド。悲劇のこと)

例えばわたしは夏目漱石先生のこころが高校一年生のころから好きで、あの話の内容もかなりバッドエンドであったことを思い出すことができる。単行本の帯にちょうど先生のセリフである「恋は罪悪ですよ」と書いていたのが高校一年生の時は結構強烈で、読んでみたいと惹きつけられる言葉であった。というのも、当時の自分にとっては恋に対しての罪の意識がなかったからである。

強烈なインパクトに惹かれ、本屋で購入を決意するものの、当時はまだ初心だったのであの帯のかかっている小説をレジに持っていくのは非常に恥ずかしく、「恋は罪悪ですよ」と書いている帯を見せるとかはしたなくなかろうかと考えていた。今は恋は罪悪ですよという先生の発言に共感こそすれ、謎だと思う部分があまりない。

今は太宰治の斜陽も好きだけど、斜陽もバドエンである。すべてが破滅に向かっているし、それこそ主人公に対しては何と戦っているんだという気持ちになる。いや、あの話は主人公単体だけで見ればバドエン寄りのハッピーエンドなのかもしれないけれど。同著者の代表作品である人間失格もバッドエンドであると思えば、バッドエンドに向かう小説は名著であると考える説は一理あるかもしれない。

ソースは3だったのでぐぬぐぬしていたとき、この話のタイミングで指摘されたのが、それこそハムレットとロミオとジュリエットしか読んだことはない(※内容が記憶にほぼない)がシェイクスピアは悲劇を書いている人であるようだ。なるほど、確かにハムレットは読了後の感想が胸糞悪いと思ったし、びっくりするくらいみんな死んだな…みたいな印象を高校生の時に持ったけれど、冷静に考えるとバドエンである。

筆者不明の竹取物語は帝とかぐや姫の仲的な意味ではバッドエンドに感じるし、ヘミングウェイの老人と海は個人的にはバッドエンドに感じたし、宮沢賢治の銀河鉄道の夜も友人がもれなく死んでる?行方不明?なのでバッドエンドである。なんだかんだ、芥川龍之介の蜘蛛の糸もバッドエンドだと思っている。まだ読むべき本は多いので、ソースとしての力がうっすい気もするが、適当に思いついた小説はほとんどバッドエンドであった。

こう適当に書いていると、「待てお前、あしながおじさんはハピエンだろ。ハピエンも探せば腐るほど出るやろ。そもそもこの記事の名著とか悲劇とか主語がでかいぞ」とhoge警察が出動するが…
(あしながおじさんは手紙という題材で主人公の成長を感じられるし、作品が進むにつれて魅力的な女性なのがわかるようになっていくのが面白いと思いました。)

悲劇性の高いものは世界観の中に不条理が蔓延しているからこそ言葉の力が強く、それゆえに人々の記憶に深く根付くのだろうと思うと納得がいくところであった。不条理に否応なく直面すると、人は自分の存在意義に対して深く考えなければならない。その存在意義を考えているときの葛藤こそ、人の心に訴えてくるものなのではないだろうか。

個人の生き方と個人のしあわせを追求するのであれば、誰の記憶にも残りにくいハッピーエンドを望むけど、人々の記憶に強く残る、衝撃を与えるものは悲劇性の高い終わりである。悲劇には、筆者の苦しみと葛藤とあえぎが記載されているからだ。

2020年5月25日月曜日

厚意に好意を抱く行為がどことなく虚無に感じる

ただ、タイトルで韻を踏みたかっただけに過ぎないけれど、意見を書くことをやっていこうと思う。頭の中で一瞬、「好意」と「厚意」と「行為」が出てきて文章にしたらこんなことになった。

それこそちょろい人間なので、厚意を与えらえると好意を抱くことがある。しかし、厚意を与えられているとき、人は親切心にすぎず、この場合好意を抱くというのは若干失礼なのではないか、と大学4年の終わりの地点で考えていた。

個人的に厚意と好意は似ているようにも感じる。厚意の意味は「思いやりのある心。他人が自分に示してくれた気持ちについていう。厚情。」と書かれている。好意とは「その人にいだく親しみや好ましく思う気持ち。愛情の婉曲的な表現としても用いられる。」という意味であるようだ。

厚意も好意も似ているように感じるからこそ、自分のような人間だと厚意と好意の差がわからない。「この人好きだ」と思っても「ああ、この人は多分厚意なんだろう」と考えると「好意」を抱くことへの嫌悪感が生まれてくる。厚意に対して好意を抱くことが、その人の思いやりへの裏切り行為のように感じられて、それはそれはすごく申し訳ない気持ちになり、その厚意を大切にしようと思えば思うほど、厚意と好意の境界線がわからなくなる。

私は厚意で接していた相手から好意を抱かれたとき、言葉にできない苦しさを自分は抱き、自分はそれを否定する。好意を肯定はするが受け取らない。その時のタイミングで自分自身も激しく傷つき、これでよかったのかと葛藤する。そういう自分の心の動きを理解しているがゆえに、厚意を与えてくれている人に対して好意を抱いたときに自分に対して激しい嫌悪感に包まれる。自分には厚意を与えてきてくれている相手に、好意をぶつけて傷つける権利があるのかと。

以前、厚意を与えてくれた人に好意をぶつけて、「え?」と思われたときに、ああこの人の厚意を裏切ったんだなと実感したとき、自分は厚意に好意を抱く行為に虚無を感じた。

それがたまらなく虚無である。言葉にできない。

厚意と好意をはき違えないようにしなければと常々思う。しかし、そう思うけれど理性的にそう思い続けられるかというのがわからない。早いところ厚意を与えてくる相手に厚意のみで返せるような精神的安定を確保したほうが良いのだろうなと思うけれど、それもまだ先の話だと思う。